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■ 変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
中毒性日記2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキゥーッ
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加納町人間交差点〜地図にない店の物語
Part 。【番外編】
「エルメスとヘルメス〜ソースの神話」
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>>>04/4/13日記「語り尽くせないあの場所」より続く

事務所に案内された僕等はそのお母さんに、とにかく怪しまれないように自己紹介をした。神戸でバーをやっていて、昼にはデザインの仕事もして、自分のサイトに書いた「エルメスソースなんて無い!」というサイト内裁判の話とその反響、4/17に現物を持ってそれに合う食材でパーティをする旨、そしてその言い出した張本人はラグビーをやっていて、そのソースの想い出が忘れられないこと 「エルメスソースはあるんです!」と何人もに訴えかけたこと、そして「日本ソース工業会」にてこちらを紹介されたことなど……を話した。

女性は「ちょっと待ってくださいねぇ」と、工場の奥に入っていった。工場の奥と言っても、そこはすぐに全体が見渡せる、入口は5m、奥行きは20mほどの小さな一棟だけで、入ってすぐに空ケースと段ボールに入っている商品が積み上げられ、事務所の横に階段、2階は倉庫になっている。奥には作業場があり、整頓された空の一升瓶、その横には穀物の攪拌機のような機械が見える。男性が一人、女性が一人、黙々と作業に勤しんでいる。まさに思い描いていた「大量生産は難しい」場所がそこにあった。

すぐに男性がやってきた。名刺を交換する。「監査役」と書いた肩書きのその男性・坂井氏に、さっきと同じ自己紹介とここまでに到る話をする。途中「サイト内裁判」「東大阪限定」「フランスのエルメス産」という言葉に笑ってくれて、ルーツを知りたい僕等の真剣な気持ちに触れ、次第に打ち解けていった。

その時南條は、5合瓶つまり900mlのオレンジ色のラベルのソレを指差し「これや!このソースです!!」と声を上げた。そこには『ヘルメスソース・とんかつソース』と書いてある。濃厚でフルーティ、ウスターソースとは違うそのソースはここ大阪では、確かにお好み焼き屋にあったりするが他のソースにブレンドされて、その店のオリジナルと称して表に出ない。量販店には置かずに、酒屋・問屋に卸す。個人には通販のみなのは、スーパーなどにはその中身と値段の折り合いが付かないからだそうである。しかしそうやって半世紀余り『ソース一本』頑なにその路線は変えなかった。興味深い話は続く。

創業は戦後間もない頃、創始者は坂井氏の祖父である。多少の新商品はあるがソースだけでやってきた。創業時は生野区、そして小路、およそ7年前に東住吉区に来た。ヘルメスソースの由来は、ギリシャ神話である。「ヘルメス」という神は商売の神様、やはりあのフランスのエルメスとは全く関係ないことが判明した。鷲の翼と杖のようなロゴ、それはその神の紋章だった。しかし、なぜ「ヘルメス」と付けたのか?僕は、ここぞとばかりに質問を投げ掛ける。

驚いた。戦前、今は亡き創業者はオリバーソースに丁稚奉公に行き、ソースの製法そのノウハウを学んでいた。懇意にしていた当時のサントリー(大阪本社・現サントリー株式会社)の大番頭の助言があったからである。「これからはソースの時代や!」当時まだ日本には醤油文化が根付いていた頃である。昭和3年、トリス濃厚ソースを作った実績のあるサントリーが酒類製造に移行してゆく背景に、オリジナルブランド「ヘルメス(後にリキュールブランドとして現存)」をのれん分け、商標登録の取り方までも教えたという。何たることだ!一度は切れた「サントリーヘルメス」の線が、ここで繋がったのである。

僕達は少し興奮気味に、話に聞き入っていた。僕の中で、僕の店のやり方、大袈裟に言えば僕の生き方までにリンクして、それらの話はグッと入り込んでくる。迎合しない、唯一無二の拘りがそこにある。「こいつの大工大高(大阪工業大学付属高校)から明治大ルートのラグビーエリートでも、頭の出来は悪い記憶の曖昧さで、そんなソースなんてない!って言い切ってたからまずその存在に驚きました」僕は言った。「僕も工大高出身なんですよ」3代目となるその人は、また僕等を驚かせた。僕はえらいことを言ってしまったと後悔したが、その人は笑ってくれたので救われた。(後で話を聞くと高校は普通科出身で、ハンダ付けとラグビーしかやってない南條とは全く違う頭のいいコースだと判明した)

南條の4学年上だから接点はないが、故・荒川先生(大工大高ラグビー部元監督)には3年間の担任、卒業後ソースを持っていったりして色々世話になったそうだ。やはりその繋がりに感動していた。僕は思い切って言ってみた。

「仕事とかそういうんじゃなくて、僕が通販用のハガキをデザインしてみんなにこのソースの存在を知らせてもイイですか?」

坂井氏は笑って、「いつでもポジ写真をお貸ししますよ」と言ってくれた。

いくつもの感動・感激を胸に、はしゃいで写真を撮って(攪拌機、坂井氏と南條、両手を広げても届かないほどの大きな寸胴に入った素ソース、凄かった!)、おみやげまでをも戴き、そこを後にした。

帰る車の中、ナンとも言えない満足感と余韻に浸り最初の信号を曲がった頃、「僕ね、さっき泣きそうになったんですよ」と、僕が表からの写真を撮ってる間に氏と話したことを、南條は語り出した。

3代目は高校2年時にお父様を亡くし、家業を急遽継ぐことになった。担任だった荒川先生にその話をすると「お前は家業に集中しろ」と言われ、ほとんど出席しなかった残りの1年余だったのに、卒業まで導いてくれたそうだ。

以降、ソースを高校に持ってゆく氏の嬉しそうな顔が浮かぶ。
荒川先生も多分、笑ってたんだと思う。

神戸までの車中、僕と南條は色々話し続けた。
僕たちのソース神話が、ちゃんとしたストーリーになった。


「エルメスとヘルメス〜ソースの神話」完 ソースづくりは、つづく……


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