www.bar-shiga.com
■ 中毒性日記 2004
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
ホーム >>>
3/30「灯火が消えた日」 バックナンバー >>>
※イベント情報 4/17(土)19時〜深夜まで
『第二回 バーテンダーズナイト』開催(詳細後日)】

店を開ける前、ブルーウェーブの社員からメールが入る。「大畑クン、ウチのピッチャーよりええ球放ってましたよ (^-^)」YahooBBスタジアム・ホーム開幕戦で、神戸製鋼から大畑大介の始球式、アンディ・ミラーと斉藤祐也のパフォーマンスがあった。神戸スポーツ交流の第一歩だな。個人的には大介には、相手チーム一番・日本ハム新庄(この日は坪井)に対しデッドボールを投げて、全員入り乱れての乱闘を期待していた。それは次の懸案事項で、よろしく。

僕の住む垂水という街は、新興住宅地だと言える。古墳近辺・ジェームス山以外はそれほど地価も高いわけではない。ちなみに僕の住むマンションに「ジェームス山」という言葉は付いているが、ソコのことではない。僕の実家・山科を京都だと言えば、盆地に住む京都人は「ほとんど滋賀県の山科と京都を一緒にせんとっておくれやす」と返す、まぁそんなところどす。

ちょっと車で小さな道に入ると、まだ文化住宅が残る場所がある。僕はいつも、そこを通る度に少し安心していた。バストイレは別だろう。冬は寒く夏はとてつもなく暑いはずだが、室外機を置く場所もない。手すりは赤茶けていて、おそらくそれは錆びている。階段を上らないでも判る。多分ソイツは音を立てて、人が通ることを他人に知らせてしまう。ドアノブはピッキングどころか針金でもこじ開けられそうで、ドア自体は木のように見えてそれは軽い合板なのだろう。

でも僕はそれらを蔑んで見ていたのではなく、寺社仏閣の中に自分の存在を確認できたときのような気分になっていた。心の中に宿る、懐かしさと言えば陳腐な安堵が、必ず訪れる場所だった。自分を認め、通る度に頑張れたような……上手く言えないな……そんな感じだった。

そこにマンションが建つことを、月曜に知った。あの佇まいは、白いシートで覆われていた。そこにいた人はどうしたのだろう。いつも、僕の中にあった16mmモノクローム・スクリーンは雨が降るように映ってた。ノイズが入りカタカタと音を立てていた映写機が、エンドロールも見ないままに止まってしまった。

街が新しく生まれ変わる。そうやって時代は創られてゆくモノだと解っている。しかしあれが小綺麗になったところで、やはり僕にとってそれらは「古き文化」だったのだと教えられた。無くなった文化は、時の遺物となってゆく。

残すべき文化はこういうものではないと知らされると、もうソコはわざわざ通らない道なんだなと、堪らなくセンチメンタルになっていた。


※サイト内裁判・その1「エルメスソースの行方」(>>>3/24日記参照
【前述の文化住宅のように、例えば浅草の「電気ブラン」(神谷バー考案・リキュールの一種)は明治のハイカラを表現したモノである もしそのソースがエルメスだったのだとしたら、「高級ブランド」をモチーフだけに謳いたかったのではなかったのか どちらにしても今無きモノならば、寂しいことである

《本日の被告からのメール》 件名“重要証言確保!”
「エルメスソースを使っていたお好み屋さんがあるとの情報を入手した!」

……姉ちゃんの同級生が中森明菜と飲んだことがある、くらい微妙な話だな】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
>>>プロフィールとバイオグラフィー(一部)はこちら……

Copyright@Toshiya Shiga. All Rights Reserved.
Send Mail to Shiga
n