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■ 中毒性日記 2004
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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老け顔の三宅クンは4月から東京へ修行に行く。火曜日夜8時半、その壮行会みたいにしみじみと、建築専門・久見瀬氏と共に3人で始まった店。そこに大相撲観戦帰りのラグビー専門・平尾、また別にやってきた安部穣二似のラグビー専門・南條が合流。彼らがいるのを聞きつけ、ニンジンを囓る勢いで駆けつけた服専門・ラビット吉川とで、神戸のことやスポーツのことを意見し合う。録音しておきたいほどに意味のある時間は、気が付けば朝方になっていた。

ちょうど皆のコンセンサスが一応の終着を見た頃、被疑者・南條賢太は高校生時代の記憶を辿って語り始めた。ちなみに、この話に弁護人はいない。

「僕が最初にエルメスソースに出会ったのは……」

およそ15年前のことだ。高校時代東大阪に当時住んでいた彼の家に、親戚のお兄ちゃんが持ってきたドロッとしたソースは「やっと手に入れた」ものらしい。一升ではない。5合瓶に入ったソレには、鷲が広げた翼のようなロゴが付いていて、「HERMES 」ソースと書いてある。少し舐めると、とてつもなく美味く、その日のおかず・鶏のささみフライにかけて食べると、更に旨く感じられた。その時は、少し贅沢な気がしてそれほど使わずに台所に仕舞っておいた。

大人になってから、その後熟成されたソースを見様見真似で作った焼きそばに注ぎ込んだ彼は、そのほとんどを使い切ってその瓶を捨ててしまう。限度を知らなかった、アホである。時が経ち平成15年、三宮加納町BAR志賀にてその話をした折りには、とうとう話を大きく歪曲するようになっていた。

「僕はフランスのエルメスが作った、お好み焼きソースを知っている」

東大阪限定で、パッケージはオレンジ、誰も彼の言葉を信じなかった。

それから一年経った平成16年3月23日、裁判官と検察官、陪審員により、原告のいない訳の解らない第一審口頭弁論が終わった。この審議には、論点として以下の疑問点が生じている。裁判所書記官議事録を元に。

[エルメスソースは本当に東大阪限定だったのか?]

[親戚のお兄ちゃんには、どこからソレを入手したのか聞いていない]

[それほど美味いソースならば、後に量販されていて知る人も多いはず それはお好み焼きソースだと被疑者が思い込んでいただけで、何かに混ぜるための「素になるソース」、つまり公に出ないモノだったのではないか?]

[成人し、社会に出てから焼きそばにドドドッと注ぎ込んだ際には、あまりに多すぎてソースの上にソバが浮いた状態だったため、美味いという印象がなかった(第一審・被疑者弁論にて) つまり、高校時代のラグビーバカの舌が肥えていたとは考えられず、肥えていたのは身体だけでその信憑性に欠ける]

[そのソースの所在を平成15年、志賀氏の目の前で電話をかけた被疑者は「ほら、エルメスソースは昔あったって言ってますよ」と証人を立てた それが姉だったのは、身内だけに志賀を陥れるための共謀とも考えられる]

[あのエルメスがそんなものを作るわけがない]

第二審公判(控訴審)は4月に執り行われる。
被告・南條側は証拠品、乙-南極2号「エルメスソース瓶」を提出予定。
そしてその参考人として「親戚のお兄ちゃん」の名をあげ、逆転勝訴を狙う。


※ヨソジー志賀(四十路・6月で)の「たまに吐くならこんな店・番外編
【もし、そのソースの存在を知っている方がいたらご一報を その日からアナタが被告弁護人である 追って二審公判日程をお知らせいたします】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
>>>プロフィールとバイオグラフィー(一部)はこちら……

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