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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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10/31「誰もが持つ光」 バックナンバー >>>
晴れが続き、空気は乾燥している。木曜日の夜、西から三宮に向かう阪神高速から、おそらく人のあまりいないハーバーランドの観覧車が眩しく、いつもと変わらない鮮やかな光を放っていた。「変わらない」ってのがミソだ。

多くの方々からメールを戴いたり、店で言われたりする。「あのギャグはくだらなかった」まぁそれは想像の範囲だから、ここでは流す。しかし中にはこんな意見もある。「考えさせられた」「励みになった」「気付きになった」……などと思いも寄らぬ反応に驚く毎日である。

僕の敬愛するブレーンに言われた。「全身志賀でイイ 制約を持たずに、更にもっと全身志賀でいってくれ 志賀氏は化けるよ、大きくなるよ」と。僕に近しい、僕を理解してくれた上での言葉に嬉しく思い、もちろん日々変わりなく「志賀」という自己の同一性を持って対峙してゆく。良き理解者というものは、そんなに多くはいらないけれど、いないと困るものだ。堪らなく、愛おしい。

そんな僕でも、いつも強いわけではない。ストローの縮こまった紙のように、ぐたぐたに打ちひしがれてどうしようもない時も経験した。問題はその解決法なだけで、それでナンとか今まで生きてきたわけだが、その芋虫になったストローの紙も、包んでいたストローの恩返しのような「一滴の水」によって生きながらえるものである。そしてその水も、やはり多くはいらないものだ。

人には光があって、いなくなると仄かな光に変わるんだけど、生きている間は必ず「ピカッ」と光ったり暖色系に柔らかく足下を灯すなんてときも来る。でも必ず誰もが「光」を持っている。いつも輝いている人ってのは、それを照らすライトという賛辞や後押しがあることだけで続いているのではない。自ら放つ光を調節する力を持たないと、突然消えてしまうこともあろう。だから光は、少しでもいいから点けておく。消してしまってはイケナイものなのだ。

ナンでこんな小難しいことをうだうだ書いたかと言うと、人がほとんどいなさそうな港の街並み、この日高速で見たあの神戸のイルミネーションが眩しかったからだ。その光は人がいるいないにかかわらず、灯し続けるシンボルだ。不景気だ、街が静かだと言ったところで、そんな灯を忘れていない神戸には救いがある。「ここにいるよ」といつでも待っている。

何かを続けて個性を持つ、
「ならではのヒカリ」とはそういうもんだと思う。


※「志賀」本日のコトゲンゴンその27《一(言)・提(言)・一過(言)》
>>>10/28の日記で書いた「ジャパンのジャージが前後半で替わってた件」であるが、公式発表によると、前半終わって審判に「見分けが付きにくい」と言われたようである だからナンで日本だけが替えたのかまでは解らんが、僕の思惑とは違っていた しかし『新しい風を吹き込む』提言は、真意である】

※ラブリー志賀の「干しぶどう日記・22日目」>>>キッカケはコチラ!
【一通のメール、そこにはこう書いてあった 『日本では湿度が高すぎて、乾燥させにくい そして、干しぶどうにはそれ専用のぶどうがあり、それ以外は始めに充分消毒をして干しても難しいとの事』だそうである だから日本に於いては「ぶどうは新鮮なうちに食べましょう」と、注意書きがあったそうな もっともな意見である しかしとにかく干し続けてやる そして食べさせてやるぅ〜】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
>>>プロフィールとバイオグラフィー(一部)はこちら……

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