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■ 中毒性日記 2012
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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月曜日。仕入れに元町商店街を歩く。明治屋が1月で閉める(事業用定期借地権の満了らしい)と知って残念に思う。目当てのパン屋も、月曜が定休日と知らず。そう言えばいつも気に入って仕入れていたチリワインも先週末、僕の店にある最後の一本で終売となった。ナンだか物悲しい週明けである。


Kクンと出会ったのは今から16年ほど前だから、店を始めてまだ1年と少しの頃だ。当時元町の高架下で営まれていた、服飾店の社長が連れて来たのだが、僕より二つ年下の当時30歳、アメリカンフットボールをやっていたらしく大柄な印象だった。彼は大学の付属病院にいる外科医で、その後には研修医時代の同期や友人達と、事ある毎に店を覗いてくれた。

そのうち一人でも来るようになりプライベートを語ってくれたり、僕のくだらないブログ日記を細かく突っ込んで来たり、医療の色々を教えてくれたりした。たまに製薬会社の関係者と来ることもあったが、一切彼らに支払いをさせず、領収書を求めることもなかった。僕の好きなタイプのお客さんだった。

ある日結婚を打ち明けられ「先輩お先に失礼します」と笑った。すぐに子供を授かった。その子は来年高校に入るそうだ。その下に歳の離れた弟がいるのを知ったのは皮肉にも「そのこと」を知ってから初めて掛けた自宅への電話の時だった。

今から9年前。僕の自宅隣人である佐川満男氏が胃癌になった。早期発見だということもあり、胃を3分の2の摘出手術は成功、経過も良好である。守秘義務もあって悩んだが…と、僕と佐川さんの関係性を知るKクンは「実は…、僕が執刀します」と教えてくれた。この驚くべき偶然に「佐川さんをよろしく頼んだぞ」と僕は言った。彼は、任せてくださいと強く返してくれた。

今年6月の僕の結婚案内を送ると、店に飛んで来て嬉しそうな顔をした。確かに痩せた感じはしていたが、ダイエットの賜物だとまたにこやかにいつもの笑顔を見せた。婚礼の数日後にも顔を見せてくれて、改めておめでとうございますと言葉をもらった。僕には彼と同い年の弟がいるが、まさにそういう風に思えた日だった。

11月に入って、奥様の友人から僕は「そのこと」を知った。末期の胃癌だった。佐川さんも胃癌だったし、何人もの患者の身体を執刀してきた彼の、これも皮肉な運命だった。家族が知らされたのは9月の中頃らしい。医師である彼は延命治療を拒み、皆との連絡を避けた。自宅に連絡をすると、まだあどけない声をした男の子が電話口に出た。お母さんは?ということ以外は、僕は声に詰まった。おそらくは看病に出ていたのだろう。また連絡しますと電話を切った。奥様に手紙を書いた。会う事を望んだが叶わなかった。もうそれどころではないくらい、彼は闘っていた。しかし食事は喉を通らず、抗がん剤との闘いに彼は日曜、力尽きた。

毎年のように、仲間が旅立って行く。
しかも若く寂しい死だ。

46歳。弟のようだったKクン。
どうか安らかな眠りに就いて欲しい。

そして僕はこれから君の分まで、…なんてことは言わない。

ただ、ちゃんと生きるよ。それだけを誓う。


※今日のヒトゴトではないヒトコト&ヒトリゴト&ヒメゴト
ありがとう

※志賀氏的伝言板
どうかそこから見ていてくれよ 】 

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