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■ 中毒性日記 2009
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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土曜夜、とうとう雨が降り出した。店に入る前、近くの大衆中華に行っていつものカウンターの定位置に座った。テレビではお笑いブームそのままに、多数の若手が1分間ネタを繰り返している。失礼ながら、ナンだかポイ捨てられるタバコのような感じがしてならない。例えば5分間のネタ見せならばどうだろう。落語のようなどっしりと腰を落ち着けて耳を傾ける古典芸能のように、彼らはそれを見せられるのだろうか。おそらく残るのはカンペのない「芸」のある人だけだと思うが、シネコンに押され、単館ロードショーはほぼなくなった時代だからそれも分からない。ただ言えるのは、残すべきものよりも、今、刹那的でクライシスめいた日常を送らねばという強迫観念にかられる人が多くなったのが恐い。

その中華で、そんな事を考えながらレバニラを突ついていた。奥のテーブルでは、別々の家族が食べている。共に小さな子供を連れているが、親の身なりと印象は少し違う。それに気付いたのは、ぐずり出した赤ん坊を抱きかかえ外に連れ出す父親を見た時だ。母親は残った女の子に、静かに食事をさせている。併せて、帰り際にその父親の言う「ごちそうさまでした」が何とも気持ち良くて、多分飲食に関わる人間なら、心からありがとうございましたと返しやすい声だった。方や、もう一つの家族は4人姉妹。下は3歳ほどから小学生低学年くらいか。両親は黙々と食べている。いつもそうしているのだろう、何も言わないから騒ぐし、何度もジャンケンを繰り返す。小さな子は食べさせてもらうが、それを見た姉は自分もとねだる。親がまた食べ始めるとフェイク泣きを繰り返す。親はやはり何も言わない。

こういう時にはどうするのか。スクッと立ち上がって「あんたら親が怒らな、誰が怒んねん」と一喝するのか。それともいきなり子供に対し注意をするのか。いや、僕の場合はどちらも違う。往々にしてこの手合いの親は品がない。言い方を変えれば世間体など気にせず、我が道を行くのが格好いいと愚行を繰り返して来たタイプが多い。本当に自分の足で歩いて来た人間の定義は、常識人であるものだと思う。アナーキーにルールを破る事がアイデンティティだと僕も若かりし頃に思ったものだが、今は少し違う。私的と公共の場は違うと、教えるのは大人の仕事だ。

僕は、父親をジッと見た。ナンやコラッと向かって来たらそれはその時に考える。しかし愚行を指摘されて、逆ギレするほど恥ずかしい事はない。

父親はすぐに視線を変え、「そろそろ帰ろうか」と子供達と共に外に出た。
残った母親は不思議そうに遅れて、精算を済ませた。

確かに大衆中華のそこだ。かしこまって食べる必要などない。
ただし、マチにはマチの決め事がある。

先にマチを知っている、親から子へ伝えて欲しい。


※今日のヒトコト
僕の睨みも、ある意味に於いては迷惑行為か

※志賀氏的伝言板
全米オープン、全米オープン


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