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■ 中毒性日記 2008
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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木曜日。相変わらず周りでは風邪が流行ってる。でも薬の飲み過ぎには気を付けないと、オバマすら言えなくなる。しどろもどろという死語を、ニュースで何度見た事か。中川大臣と同じ時期に風邪引きだったので同情はするが、同意はしない。

ゴルフにしてもビリヤードにしても、自分より下手な人とはやり難い。いや厳密に言うと、同レベルの理解力を持つ者とやりたいのだ。なぜなら、簡単なショットのミスに、そのミスだけを捉えるのではなく、ある意図があって、その結果失敗したという考えを汲んでくれる相手となら楽だからである。無論ミスをしたい訳じゃないが、次に繋げるためにどうしても無理のいるショットだった、そのチャレンジが認められて互いのコンセンサスが見えた時、思い切り失敗もできる。思い切りの先には見事な失敗もある反面、思わず周りが声の出るナイスショットが生まれたりする。堅くそつなくこなす人間だと、そういった賛辞を受ける事が極端に少ない。

そう言いながらも、スポーツにもビジネスにも数字に表れる結果が重視されるものである。チャレンジしないでまとめた数字と、チャレンジした結果幾つかの失敗を生んだ数字とは、例え同じ数字であってもプロセス、内容が違うはずなのだが、世の中や直属の上司などは、そういった評価をくれない事も多い。

それは、やるべき事をやらずに「やっている」と言う人がいたり、結果オーライをさも意図があったかのように事後報告する人が多いせいもある。しかし最も悪しきは、失敗を恐れ挑戦を何もしないで(それは大抵が頭の中でその姿を先に見て進まない場合)、がむしゃら、ひたむきのフリをして悲劇を装う人である。

意図の見える失敗には美学、哲学が在る。

意図のない失敗は、ただの失敗にすぎない。

前者の美学は、多くに理解を求めるモノではない。万人ではなく、近しい人にだけにしか感じられないものである。そうやってできた失敗は、「勇気ある撤退」「発展的閉鎖」という一時の辛さから解き放たれる、無限の広がりを秘めている。

思い切り失敗すればいいやん。そう言ってくれる同志がいれば、問題はない。


※今日のヒトコト
【こちらは失敗とは別の話しだが… 関わって来た事業から撤退する経営者、ずっとやってきたスポーツその現役からの引退を決めた選手、近頃はそういった知人からの言葉を聞く機会が増えた しかし何かを守るために、または新たな一歩を踏み出すために、背負って来た荷物を下ろす事もある  その彼らの決断の勇気に、心からエールを贈りたい

※志賀氏的伝言板
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