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■ 中毒性日記 2008
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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木曜午後、車の窓を閉めては暑いくらいの陽射しで、もう桜が満開の場所もある。日曜京都の花見に間に合うのか少々不安になるくらいに、今年の桜には勢いがある。旧居留地の21階で打合せ。岩手遠野の農産物のプレゼンテーションに同行した。通販大手のFシモにすれば、日々売り込みに来る様々を、こうして丁寧に応対してくれるのも日頃の付き合いのお陰だと知る。その後違う部署の長と密談。社内消費の飲料メーカーを紹介し、葉山のビーサンの話もちゃっかり(死語)した。

そこから、一旦店の駐車場まで車を置きに行き、JRで住吉へ。先日宅急便で納品した印刷物の「大失敗」に謝罪、引き取りに向かう。デザインという企てや目論みに付き物がある。前例のない試みを如何にカタチにするか、そこに起こり得る弊害、障害をどうクリアするか。クライアントのイメージを上手くカタチにできた快感と、満足を得られなかった時の愕然は表裏一体である。こう書くと大袈裟に聞こえるが、いつだってクライアントがNoと言えばNoの市場原理である。ただし、不条理は好まない。作品としての価値が自信に基づいて在るのなら、それを不可解にNoと言われた時には別れるまでである。とは言え、今回は全面的に「こちら側」のミスなのだ。信頼を得るために奔走したい。

夜の店。新喜劇座長が久々に来ていて、そこに偶然出くわしたプラッシーと船乗りクンがうんうんと相づちを打って、僕もカウンター越しにしゃべりまくった。プラッシーは埼玉から神戸に赴任して3年ほどになるが、2月の新喜劇イベントに一緒に行った関係で、吉本ファンである。関西に生まれ育った僕からすれば、土曜の昼、ラグビーの練習前にはテレビで必ず見ていた吉本新喜劇であるから身近なものだ。お決まりのコテコテギャグで、コケる真似までした学生時代である。関東人にとっての吉本は、さんまさんや紳助さん、ダウンタウンからメジャーだ(確かに彼らのお陰で、山手線で関西弁が平気で話せる様になったようだ)が、関西に赴任した彼は、僕のせいでベタで濃い関西を知っている。舞台で観たその人との再会(テレビでもその収録新喜劇は観たそうだ)は嬉しかった様子で食い付いていた。

新喜劇座長は、僕のブログ(日記)を見てくれている。彼もそろそろ個人的に始めようかなどと考えている様子で、ナンであんなにほぼ毎日続くのか?志賀さんはいつ書いてますのん?いつ寝てますのん?ナンでそんなにカッコイイどすのん?(これは言ってない)などと矢継ぎ早に聞いて来た。僕のくだらないボケにも独特の突っ込みを入れてくれるプロだが、内容はともかく、書く事に於いては少し僕の方が長けているらしい。僕はいつも答える様に話す。

無理、背伸びはしない。普段使わない言葉は使わない。反応を求めない。

イチロー(鳥羽ではない)も、実力以上の事はできないと言っている。辞書を片手に難しい言葉を並べても中身が伴っていなければ陳腐な表現でしかない。この話は、チョイわる路線を狙ってる男の様である。断言する。チョイわるは「着ぐるみ」だ。演じてしまってはダメなのだ。使わない言葉と言えば、便利になったお陰で絵文字や拡大文字なども多用してしまいがちだが、「続けるならば」それはしない方がいいと個人的には思う。「その人」が見え難くなるからだ。そして、求めてはならない。流行のSNSじゃないが、皆さんいかがですか?と問い掛けて、レスポンスがない寂しさを感じるのならば、最初から求めない方がいい。

そもそも、顔の見えない相手に反応を求める事の方が怖い。
それは、対面で店に立つ僕だからこそ余計にそう思う。

舞台に立ちお客様の顔が見える、座長川畑クンなら解るはずなのだ。


※今日のヒトコト
【座長は、どうやら新しいキャラを模索中  次代の桑原和男を狙え!

※志賀氏的伝言板
4/26(土)バーテンダーズナイト開催予定


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