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■ 中毒性日記 2007
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
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去る12月22日、朝日新聞にヘルメスソースの事が書かれていた。神戸製鋼のラグビー選手が小さい頃食べて忘れられない味となった、大阪地ソースであるヘルメスソース(金ヘルメスとんかつソース)。店で東大阪自慢から始まったそのやり取りは、ホームページに書いてある。そして、その内輪での騒動をメディアが見ていた( 2005年5月9日の日記参照 )。あれから2年半が過ぎ、家族で作るその味とスタンスは変わっていない。変わりすぎる世の中に、こんな工場がまだ存在する。

22日 朝日新聞夕刊(ナニワの「ほんまもん」: 2)
東住吉「石見食品工業所」幻のソース【大阪】

テレビ局のスタジオに、お好み焼きがじゅうじゅうと焼ける音が響き、香ばしいソースのにおいが立ちこめた。「ふあーとした匂いで、すごいフルーティー。つんつんした下品なソースじゃない」

05年5月、大阪と広島のお好み焼き対決を取り上げた人気料理番組で、司会者は絶賛した。共演のタレントもそのにおいに目を細めた。

「場違いなんやないか」

収録番組を自宅のテレビで見たソース会社「石見食品工業所」(大阪市東住吉区)の3代目坂井一喜さん(39)は、複雑な表情を浮かべた。原料も製造法も特別なものは特にない。手作り感のある柔らかい香りだけが売りだ。派手なテレビの世界ではなく、庶民の暮らしの中で評価されるものという思いがあった。

番組では広島のお好み焼きに軍配が上がったものの、放映翌日には1500件以上の注文メールが飛び込んだ。各地の百貨店から「うちにも置かせてほしい」と申し込みが相次いだ。「幻のソース」という評判が一気に広がった。

1953年に創業した祖父(故人)と親しかったサントリー関係者の提案で、ソースにギリシャ神話の商業の神「ヘルメス」の名がついた。坂井さんが工場で働き始めたのは、高校2年生だった85年。その2年前に2代目となった父が急逝したためだった。卒業後、正式に後を継いだ。

創業から変わらぬレシピ、独自調合の香辛料、手作業のラベル張り……。母親(61)ら親族4人とともに、受け継がれてきた味と、多いとは言えない取引先を大事にした。工場で作るソースの大半は業務用で、個人用のウスターソース(900ミリリットル、525円)と、とんかつソース(同)の生産は1日200〜400本。急増した注文に応えようと、休日返上で年間生産量を1.7倍に増やしたが追いつかず、半年待ちの状態も生まれた。

「作れば作っただけ売れますよ」。経営コンサルタントに事業の拡大を勧められた。金もうけに興味がなかったわけではない。しかし「機械ではヘルメスの味が出せなくなるかもしれない」という不安が頭をかすめ、踏みとどまった。

「この味、昔のまんまやなあ」。ふいに工場を訪れた男性にこうつぶやかれた。

子どもの頃に食べた焼きそばの味と一緒だという。

味を守ってきて良かった。そう思えた瞬間だった。



『ふいに工場を訪れた男性』…というのが、そのラグビー選手なのである。



※今日のヒトコト
【いやホンマ、切っ掛けは更にその1年前  ラグビー選手の意地から始まった冗談みたいな話だったのです  >>> 2004/03/24「エルメス裁判」

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