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■ 中毒性日記 2007
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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6月最初の月曜日。また日中は晴れたらしいが、暗くなるまで家にいた。2日の土曜、数ヶ月ぶりに打ちっ放しに行ったせいもあるが、また色々な後遺症が顔を出し始めた。特に元々腰椎分離があり、腰が痛いと背筋は伸びない。この日の店もひどいものだった。梅雨を前にして、この面倒な痛みを解決したいものである。

日曜昼間に、舞子にあるセトレのカフェに行った。結婚式会場を通ると「○○□□御両家結婚披露宴」と、入口にこの日は3件の婚礼があった。「御両家」が「御三家」だったらヘンだななんてどうでもいいことを考えていた。御三家と言えば、ある世代は「橋幸夫、西郷輝彦、舟木一夫」と言い、僕なら「郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎」(新御三家らしい)、中学くらいからは「田原俊彦、近藤真彦、野村義男」(たのきんトリオだ)だった(やっぱり、野口や野村は最後に並べてしまうな)。そう言えば過日に三宮大学の教授が、「自分にとっての時代の移り変わり、その記憶の境界線を書き出すのが楽しい」と言っていた。

ワープロからパソコンに移行したのはいつのことだったろう?オープンリールからカセットテープ、CD、MD(DATはどこ行った?)、MP3などに代表されるダウンロードへ変わってきた。VHS(βも)からDVD録画、そしてBlu-rayも存在する。浄水器ブームのあと、水を買う様になるなんて思わなかった。小学校の頃、新幹線の歌は「時速250km」だったのが、今は実験段階で500kmを超える。胡散臭かった通販(雑誌の裏表紙くらいにしかなかった)が、今や主流になっている。僕がよく使う「死語」という言葉にも、そんな境界線があるのだろう。何かに取って代わる瞬間を目撃した、体験した。それらを挙げることは面白そうだ。

そう言えば、角瓶が旨いと思ったのはいつだったのだろう。高校生まではオヤジ臭い味、大学では味なんてどうでもよく、ただその時間が楽しかった。社会人になってホテルで働いたときも、それから暫くも、ウイスキーというものはそれがバーボンであれスコッチであれ、美味いと感じることはなかった。

多分「一人飲み」に出かけるようになってからだ。

それがどの日だったのかは思い出せないけれど、大人と言われる年齢ではなくて、年輪の様に波紋の様に、一つ輪が広がった音がその日にしたに違いない。

僕の記憶の境界線も、また色々と辿ってみよう。

その音は、「忘れないでいる」糸口だ。


※今日のヒトコト
【先日船で淡路の洲本に向かう途中見えた数10mもある観音様は、いつどういう謂れでできたのだろう? あんまりリアル感がなく(彫ってる途中みたい)、 かなり俗っぽいことは確かだ  どなたかご存知ないですかな??】

※志賀氏的伝言板
オールブラックスは、ジュニアも凄過ぎるじゃないか!!


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