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木曜午後、明石までリハビリに行く。紙くずを離れたゴミ箱に捨てるのにも何かついでを作りたい僕だから、ただリハビリにわざわざ西に行くのはもったいないと思っていた。MRのYクンから聞いていた、玉津にある、野菜ソムリエのいるカフェに行ってみた。玉津ICから南へ数分で到着。言ってしまえば、三宮にあれば足繁く通いそうな店である。コーヒーまでもオーガニック。ソコは珈琲愛飲家の僕には少し物足りないが、カレーもポテトサラダもフルーツも旨い。こだわりを食材に持ち、ペースを守り、そこにしかできないことを続けるゆえにこの場所なのだろう。かなりのんびりやっている。夜は予約した方がいい。また来たいと思った。「ベジフルカフェ・百菜(ひゃくさい)」078-961-0739
加納町の交差点近くにあったキムチラーメンが西に50m移転した。かなり蛍光灯が明るく照らされていたので、オペレーション、予行演習でもしているのかと思ったらしっかりオープンしてた。しかし、TVの取材時みたいに明る過ぎる。僕の店の様に暗いのは不親切だが、食事には適切な照度ってものがある。特にラーメン屋は、屋台にチャルメラの延長をイメージすれば、僕ならせいぜい白熱灯で調光器を付けるとか、裸電球(傘があってもいい)をぶら下げるとかもっとチープに行く。人は明るすぎる光より、火の様に温かい仄かな光源を目指すものだ。
と言いながら、その2軒横の志賀御用達、いつもの中華も大層明るい。美味けりゃ内装なんてどうでもいいっていう話しもあるが、「赤は高回転型店舗にいい」とされる法則を見事に無視した看板や内装にシンパシーがある(あっ、この場合共感と言うよりは同情に近い)。中華だから赤だとか、ファーストフードだから赤だという考え方は、ソコに立つ人の重要性が含まれていない。僕は飲食に関して、「委ねる」「託す」「許す」「認める」相手がいてこそ成立すると思っている。
スシ職人は凄い。散髪屋や医者と並んでも凄い。
それは、「触れる」仕事だからだ。(他にもエステとか、カイロとかもある)
スシ職人は身体にこそ触れて来ないが、口に入るものを握る。これはもう、委ね、託し、許し、認めるしかない。無論、それに値する職人あってのことである。一連の流れ、立ち居振る舞い。握り込むよりは、包み込む様な所作。やはり僕には人気繁盛店かどうかよりも、「人」でしかない。
そんなことを書いていたら、店に入る前につまむ寿司が食いたくなった。そこはまさに、火の様に温かい仄かな光源を放っている店だ。
「京都の人やったね」数ヶ月も前に連れて来てもらったのに、お母さんは覚えてた。僕が産まれた翌年、昭和40年にココを始めた職人は、「阪神はあかんなぁ」とラジオに突っ込みを入れて、僕の食すスピードに合わせて柔らかに握る。「眼鏡が割れてたの、変えたんですね」僕がそう言うと、家ではあれがしっくりくるからまだ使ってる、でもこれは息子がくれたからと嬉しそうに笑ってた。
ちょうど息子ほどの僕が頬張る姿を、夫婦は見守ってくれている。暖簾が出ていないとか、パイプ椅子だとか、トイレの場所が難しいところにあるとかそういうのはどうでもよくて、人に委ねて居座ることのできるその場所が愛おしい。
いつも思う。委ねて託して暫時を過ごす。
客として、許し認められた瞬間もまた嬉しい。
※今日のヒトコト
【今のスタイルに近い寿司が生まれたのは江戸時代 現在のスタイルが全国に広まったのはさらに遅く、 1923年の関東大震災によって被災した東京のすし職人達が故郷に帰り、日本全国に拡がっていった へぇ〜】
※志賀氏的伝言板
【 明日の日記は、国家権力への挑戦状にしよう 】
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