|
|
ブログ にはアップした、僕の子供の頃の写真、そこにリンクした 爺ちゃんの日記 。結構反応があったりした。思わず僕も、木曜23時過ぎの静かな店で読み返す。なんでかな。42歳になっても、5年前の日記に泣けてきた。アスファルトには干からびたミミズ、群がるアリ。梅雨を忘れる神戸である。
その辺りにやたらと見かけるマルムシ(ダンゴムシ?)をジッと観察すると面白い。アリに比べるとデカイ図体のクセして、アリが向かってくると動かない。人間(つまりボク)が近付くと丸くなる。これを自己防衛本能と習った気がするが(それってアルマジロか?)それは勝手に人間が思っているだけで、意外に求愛行動なのかも知れない。そう考えると、マルムシに人気がある僕である。
世の中の活字を見る度に、言葉を知らないなと思う。何も長い文章とは限らない。見上げた建物や交通機関の中吊り広告、そこに集約されたキャッチコピーや、雑誌の見出し、DJやテレビ司会の発する「どなり(所謂掴み)」など、その企みにハートを鷲掴みにされる。普段何気なく見ている風景も、「観る」ようになると感慨深い。ポイントは「何気なく見ている」というところにある。
人は「何事もない」という幸せを覚え、「サービスをサービスと感じさせないサービス」に酔う。風邪を引いて熱があったり怪我をした時に、普段の自分を有り難く感じるモノだ。つまりは、街並みに景観的調和をしないものに対し、ちょっとした「流行」や「物見遊山」心を煽られ、足繁くとは言えないアプローチをした挙げ句、「やっぱりフツーがいいよね」という言葉を繰り返す。
デフォルメされる傾向にある今よりは、目に優しい街がいい。そんなことは誰しもが解っているはずなのに、奇をてらった、突拍子もない街造りの繰り返しに踊らされている。何気ない風景が、消えようとしていることに危機感がない。
蒸し暑い7月に、僕は思う。
何気ない風景を、取り戻したい。
そして建物を、その先にある空を
見上げることが「何気なく」できる普通にしたいのだ。
※今日のヒトコト
【今日だけ読んだ人は、 「志賀って、何者?」 って思うよな】
◆この日記に コメント したい方は、神戸加納町 >>> 「BAR志賀」【ブログ版】へ! (HP日記のみ更新・ブログのみの画像もあり!)
◆携帯から見るブログ版! http://bar-shiga.ameblo.jp/
※志賀Design【>>> Club_BB 春夏Tシャツ 発売中!!】
※ダジャレー男爵・志賀が、ワインセミナー講師だってさ!
【ホテルトアロードのワインセミナーは、偶数月第一週日曜に開催されます 詳細とお申し込みは>>>こちらにお願いします】
※加納町 志賀とはどんなヤツ?
【>>>プロフィールとバイオグラフィー(一部)はこちら……】
|