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※ここだけ志賀情報 【『6/1(火)〜5(土)』40th バースデーウィーク 誰の?俺の】
イマイチどんよりの神戸、やはり街も静かである。
「今、外で綺麗な人いたよ!」
女の子はどうして同性に美人を見つけると喜ぶのだろう。「うわっ、めっちゃカッコイイ男の人見つけたで」と男は言わないものだ。例えばそれがムッチョマッチョマン(恥ずかし死語)だとしても、「俺もあんな風になりたいわぁ」とは言わずに、「あれはやりすぎやわ」とやり過ごす。
美に対する意識か、同性の小綺麗さを認めるのは女性の方が多いように思う。そういう意味で、実は女性の方が同性に対してプライドが少ないのではないのだろうか。男は格好良さを見て「分かっている」のに、それを認めるカッコよさを「解っていない」。それも近くのモノに対しては、虚勢を張って生きる。
と書きながら、これは僕自身のことを書いているのだと気付く。確かに僕は近くの同性に嫉妬にも近い気持ちを抱き、悔しさを持ちながら前に進む。そして多分僕は「カタチにならない、表に現れない美」に共感を持ち、憧れの賛辞を送るのだ。だから「今、外で男前がいたよ!」とは、なりにくいんだと思う。
今、車でよく聴くアルバムがあってそのタイトルは「Singles 2002~1997」と言うんだけど、彼らの曲のベスト盤、ただそう思って手に入れた。もちろん曲も唄もいいんだけど、そこにあるカッコ良さってのは「1997〜2002」じゃなくて『2002~1997』ってトコにある。
どこかで書いたけれど、自分の過去の作品や言動は、若気の至りはあっても卑下したり力がなかったなどと言ってはイケナイ。もちろん身の丈精一杯の仕事や言葉を発したという前提だが、それがその時の自分なのだから恥じる必要などないはずである。しかし勇気はいる。過去の作品から今を表現する方が楽であるからだ。それを彼らは自ら「今から過去へ」の曲順を選んだ。これは紛れもなくカッコイイ。僕はそういうところに、憧憬を持つ。
まぁ、これが異性だと話は違ってくるな。
「今、表に綺麗な女の子見たで」
なら、見に行きたい気持ちを押し殺しながら、店で酒をつくってる。
※ダジャレー男爵の『出逢い系・純情派』単方向BBS
【文頭にバースデーウイークなんて書いているが、何も考えていない ただ「40」歳ってのには思い入れがある 「40」でっせ! 色々危険な香りだ】
※加納町 志賀とはどんなヤツ?
【>>>プロフィールとバイオグラフィー(一部)はこちら……】
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