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火曜日。日中は暖かかったが、夜の温度差は気を付けナイトだった。
我ながら情けないギャグだわい。でも今日はええ話だよん。
よくホテルのベッドの横にある、聖書の話らしい。とてもいい話なので僕なりの解釈をしてみた。原文は知らないから、僕の脚色で物語として書いてみる。
「二人の足跡(ソクセキ)」の話だ。
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砂浜に、四つの足跡がある。つまりそれは二人の足跡だ。 小さい方の足跡の主は、身体を患っているようである。 二人は寄り添い、共に歩いているように見えた。
ある日、足跡は二つになる。小さい方の足跡は消えてしまった。その人はどこに行ったのだろう。どこかに置き去りにされたのか、それともこの世にいなくなったのか。足跡は二つだけ、いつもよりはっきりと踏みしめられてそこにある。
答えは、強く堅く踏みしめられたソクセキにある。
その人は、もう一人を背負ったのだ。 そしてまた、共に歩みだしたのだった……
…………………………
この話は、男女にも思えるし、親子にも友情のようにも取れる。解釈はマチマチだ。
僕の周りには、病気になったり、友に裏切られて悩んだり、仕事でのトラブルや人間関係で考え込む人がいる。火曜の店にもそんなお客様がいた。もちろんそれは自分で解決することとなるのだろうが、その糸口は人の導きが多い。僕はクリスチャンではない。ないが「背負う人生」は解る。
よくそれを否定的に表現する人がいる。しかしもがき悩み苦しむ自分も、近しい人の死を悲しみ、やるべきことが手に着かない自分もNoじゃない。悲しみに暮れたり満面の笑みを浮かべる自分も、同じ自分なのだ。
だから友に言いたい。そして自分にも言いたい。落ち込むのも笑うのも、涙をポロポロ流すのも怒りを露わにするのも、『全部イエス』なのだ。
だって、それは誰もが体験で知ってることだ。
気が付けば辛いことも、笑って話せたりする時が来るもんだと。
※ヨソジー志賀(四十路・6月で)の「たまに吐くならこんな店・番外編」
【無宗教だが、聖書、マジで読んでみてもええかもね】
※加納町 志賀とはどんなヤツ?
【>>>プロフィールとバイオグラフィー(一部)はこちら……】
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