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■ 中毒性日記 2004
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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毎日何通かのメールを色々な方から戴くが、木曜日こんなメールが届いた。
「南の島に暮らし、人生の苦痛を味わってる人もいるのだよ」

昨日の日記の一節『大きな波もない人生は、都会から南の島に暮らすようになった人達に任せよう』の部分で悪い気にさせたようである。このサイトをずっと読んでもらってる方には解る話に「ワシも会社の役員退いたら南の島でも行って、志賀ちゃんみたいなバーやりたいわぁ」と言った年輩のお客様に対し、僕は強く怒りを示したことがある。その場合は「今やること」と「余裕が出てからやること」とは違う意味での反論だった。つまり、のらりくらりと何も心配なく喧噪を離れて余生を過ごせる立場の人が趣味の延長でやるのと、日々極端な毎日を感じながら微かでも確実な足跡を刻み付けることとの異を唱えたのだった。

南の島が苦痛を感じないと言ったわけではないのです。僕のヤマハ時代の同期がまだ八重山に住んでいるけれど、彼等も精一杯生きている。場所はどこでも「生きてないヤツ」と「生きてるヤツ」がいる。そんな話を言いたかったのです。

思い返せば2001年の6月3日、僕の誕生日に立ち上げたこのサイト。どう考えてもメインはこのほぼ毎日「中毒性日記」なんだが、僕自身が色んな所に顔を出したり動き回っていると知らぬ間にアクセス数も増え、お会いしたことのない方から思いも寄らぬメールを戴くようになった。それは病室からだったり、海外に嫁いだ人からだったり、ラグビーファンだったり、迷い込んだ人だったり。

僕の妹みたいな存在で女優やってる子が出した本の一節が、ある宗教団体の言う話に似ているだけで彼女が広告塔扱いされた話があった。そこには「活字の怖さ」と、「やり続け認知されることで訪れる解釈の違い」が現れたのだ。おこがましくも、僕にも多少の影響力が出てきたと言うことなのかな。

でも、続けていて良かったと思う。

これも確実な、生きている足跡だから。


※ヨソジー志賀(四十路・6月で)の「たまに吐くならこんな店・番外編
【どうやら車の10円チョップ(500円かも)によるキズは、なんとか保険が利きそうである これはラッキーだが、警察に事故証明を取りに行くのは面倒だった 生田警察はどこから入ればいいのか分かりにくいし、19時頃行ったもんだからカウンター僕一人に10人くらいの警察官がジロッと睨んでくるし(俺は人相悪いか?)、調書を取るのに結構時間が掛かった 待たされる間、壁に色々貼ってるポスターに『神戸イノシシ対策会議』なるものを発見したのは収穫だった】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
>>>プロフィールとバイオグラフィー(一部)はこちら……

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