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■ 中毒性日記 2004
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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春雷とは良く言ったモノで、日曜と温度差はあっても心地よい日差しとなった神戸である。 青空の中、先日打ち合わせに使ってから気に入って、一人でのんびりとそのカフェであれこれやっていた。標準語(関東言葉?)を話す人は、東京方面の人か田舎者だけだと思ってたが、近頃は判らなくなったもんだと、近くの席の女性の会話を聞き流しながら書き物をした。

一般に、よく世間では「クリエイターってMacユーザーが多いよね」ってなイメージ先行的話を聞く。確かにデザインソフトは充実してるし、ウイルスに侵されにくいのもいい。新旧洋邦音楽ソフトや企業とのやり取りにはWindowsの勝手はいいが、ナンでMacがいいのかの質問に対しては僕なりの意見がある。

これはWindowsも同じだが、近年ノートPCの軽量化、画面の大きさでクライアントの目の前でプレゼンテーション出来るようになった。Macはその昔、重たいし画面も小さかったから苦労したモノだが、今は無き「レインボーアップルマーク」は人の目を引いたし、気の利いた国内メーカーのPCも少なかったから、お客様のウケも良かった記憶がある。そして何よりも、紙媒体に落とし込んだときのイメージが掴みやすいという点で、ズバッとずば抜けて(死語)いた。

実は僕はコンピュータには詳しくないので感覚的なことしか解らないが、画面上で打ち合わせをしてDTP(デジタル印刷)に出し、色のイメージを失敗したことがない。縁あって最近、なぜか垂水にオープンするペットサロンのロゴを創った。そこでも、オーナーの言う「『これ』みたいなピンク」が上手く表現できたと思う。これもMacを手放せない要因の一つである。

先日、玉撞き屋に来る若者・祥くんのPCを見せてもらったが(TOSHIBA?)最近の液晶化・解像度の高さは凄い。が、紙や布への仕上がりカラーイメージはMacに分がある様に思う。携帯電話にも言えるが、昨今のWindowsマシン(特に国内メーカー)は、デジタル間でのやり取りには長けている。もうPC本体のデザインの好き嫌いで国内外から選べる時代でもある。単純にSONY・VAIOは好きだし、Macコーナーのすぐ横に展示されているショップが多いのも頷ける。

ただ、Macはデジタルなのに「人の匂い」がするのだ。携帯をSONY ERICSSONにしたのも、時代に逆行するかの如く重たいしいかにもVAIO戦略も感じるが、個性が抜きん出ていると思ったからだ。上海のクリエイター達の携帯を見たが、ノキアかモトローラが主流で、薄さ軽さより最低限の機能性とデザインという存在感を重視していた。方や日本は、どこか違うところに行っている気がする。

Mac、その未だに国産より重いPC本体も、訳の解らないフリーズも、起動の遅いOSも、全てひっくるめて付き合ってると、何でもかんでもコンピュータでやってしまうことが実は怖いことだと、そして本来、微妙なフィーリングが人間がする最後の表現なんだと教えてくれているようである。

車もPCも人が操るモノでなければならない。
そしてそれらは、「楽」だけの手段じゃない。


※ダジャレー男爵の「志賀オシャレ『死語』
【深夜店を閉めて玉を撞いてると、ゴツイラグビー選手が6人やってきた 「えぇ〜、今からかい!」と『まっぴら御免』と言いそうなのが、ええ話をしたので『ノー・プラモデル』である 世代がバラバラなのが嬉しく感じられた】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
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