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■ 中毒性日記 2004
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
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今日はデザインに関しての話だ。興味のない人はスキップしてくれ。
(心躍らせるハイジのようなスキップしろ、と言っているのではない)
寒い神戸で、人が少なかったからこんなことばかり考えていたのだ。

昨年から最近に掛けて体調不良を訴えているが、この日が土曜日だからというわけでもなく、こんな毎日の僕である。それじゃぁ、自律神経も自分で調律できてないのだろう。室長が出張するように失調するわけである。自業自得を味方に付けたつもりに、缶コーヒーで誤魔化しながら書いている。

珈琲を飲めるようになったのは、ホテルにいる頃。それはどこかで書いた思う。休憩は自由に飲めた。多めのミルクと砂糖が、知らぬ間に真っ黒になった。今では缶コーヒーでさえも、ブラックしか飲まなくなった。珈琲党が缶コーヒーなど、蛇女ゴーゴン(言語・見たら石になる怪獣ね)同断であるが、中身よりも僕は、パッケージデザインに興味があるから常用する。

プロダクトデザインの世界にも興味があっても、制限・規制などイチから勉強しなければならないことが多い。コンセプトしかもラフスケッチくらいしかできないだろうけど、車や家電、携帯電話デザインにはそそられるものがある。それはまたいつか関係できるときがくるかも知れないが、今は平面表現、缶コーヒーパッケージは、僕のやってみたい分野の一つである。

250mlの頃のコーヒー缶は、まだデザイン性を重視していない時代だった。コーヒー豆を前面に押し出した、今ほどに根付く前のデザインは洗練されていなかった様に思う。甘さもあり、量も多い。コーヒーを知らない人に、気軽に拡販の意図が見えた。現行になってからはブランドイメージが追求された。コーヒー自体の味を追求し、それほど多く飲むものではないということから190mlが主流となり、各社のOEMから自社オリジナルブレンドへと変化していった。缶の素材を変えて熱さを感じにくくするものもあれば、持ち易いカタチにした缶もある。

景気が回復の兆し……とは言えどもまだまだ寒い世の中で、170mlやデミタスで120円、190mlで130円・150円と、更に味と差別化を見いだすメーカーも出てきた。同じ状況がコンビニおにぎりにも見られる、『今までとはちょっと違う贅沢』がウケている。これも時代なのかと言えば少し寂しいが、それが価格設定における、庶民の心の上手いところを突いているようである。(僕のマンション横の販売機に130円のがあるが、なぜかずっと120円で押せるので、しょっちゅう飲んでいるセコイ志賀でございます)

それにしても、パッケージには「そそられる」デザインが少ない。僕がなぜか一昨年担当したトスカーナワイン・エチケットデザインの時にも、イタリア人・ワイナリー「Campo del Monte」のオーナーは言っていた。

『中身にどれだけ力があっても、手に取ってもらわないと話にならない』

スポーツも練習プロではダメだ。使ってもらわないと意味がない。
要は、コーヒーも俺にやらせてみろと言いたいわけだ。


※ダジャレー男爵の「志賀オシャレ『死語』
【さてさて今週のホリデーは? 『一張羅』つまり『よそ行き』でバケーションだ〜……と思ったが、家にいるやろな、多分】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
>>>プロフィールとバイオグラフィー(一部)はこちら……

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