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彼は、店から特に用事のない時は高速を利用する。夜中なら20分とかからず家に着く。阪神高速京橋から乗り、第二神明名谷インターまでだ。降りて程なく、そこは海の見える山の上だ。何故彼が店から離れた場所で居を構えているのか。それには、理由がある。生まれ育った街には、大好きな海がなかったこと。そして、もうひとつは彼には店のある場所との気持ちの切り替えが必要だったこと、である。バーマンとは、非日常的空間を提供し、決して現実に引き戻すことを感じさせてはならない。ワーカホリックにもストイックにも聞こえるものではあるが、彼は店の近くに住処を作らないことで、人目を気にせずにアイデンティティーを見つめ直すことが出来た。
高速の入り口で、飲酒検問をやっている場合は思わず通り過ぎることもあるが、名谷出口でやられた日には逃げようもない。少し酒が入っていたが、彼は急いでいた。日頃多少のことでは動じない男だが、彼は助手席のカバンと内ポケットに入れた封筒に気を取られていた。とにかく、早く帰ることが先決である。急カーブにかかる。TVRキミーラはFRPボディーをシェイクしながら西へ走る。
封筒の中には、紙とIDカードらしきもの、そして重厚な鍵が入っていた。知る限りその鍵は家のものではない。ジェラルミンケースのものとも違っていた。すぐに、一片の紙切れがその答えを導いてくれた。「これは銀行の貸金庫のものだ。カードキーで中に入る。IDは1955。俺の生まれた年である。金庫はこの鍵で開けてくれ」その無防備な暗証番号で今まで被害がなかったのならば、相当なチェックが想像される金庫なのだろう。はたして、この助手席にパートナーのごとく納まっているゼロ・ハリバートンは、この私に晴れて微笑んでくれるのであろうか。漸次、仕事に忘れ掛けていたカバンと封筒の重大さに彼は気付いていた。
車は須磨の料金所に差し掛かる。この時間には不要に数の多い改札。他に行けばいいものを、どこからかわざわざ後に続く一台の車。バックミラー越しに眩しく光る、マナー知らずのハイフラットライト。防眩ミラーにして、目をこすりながら車を確認する。360モデナ。猛然と発進した彼に、イタリアの暴れ馬は食らいついて来た。
「尾けられている!」
瞬時にそんな悪い予感がした。
つづく
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