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■ 中毒性日記 2012
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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木曜日、冷たい雨が降る。結局、新しく移転した心斎橋「arflex」のレセプションには行けなかった。まぁいい。そういう時にしか顔を出さないヤツになるよりは、ゆっくりと日を改めて観て来ようと思う。あそこの商品は好きだ。

神戸の震災から17年。ニュースのインタビューでは、「これからは、東北の人々に手を差し伸べて行きたい」との声がその神戸からも出ている。壊滅的に打ちのめされたこのマチが「精神的に復興した」証しのようにも映る。無論、まだまだ整備のできていない地域もあるし、マチが震災前と同じ、もしくはそれ以上の賑わいを見せているかどうかと言えばそれほどではない。むしろ、震災から5、6年間ほどがピークで、あとはご多分に漏れずの不況だという声も多い。

それらはもう震災のせいにはできないもので、ありがたくも周りから支援を受けた過去から「マチの内なるチカラ」「湧き出る強さ」で立ち上がる時期が来ていることの裏返しでもある。もちろん他に手を差し伸べるということ自体は素晴らしいことだ。しかしその手が汚れていたり、弱っていたりしていては彼らを引き上げることなどできない。所謂ボランティア、義援、支援とは、そんな「強い手」を備えた人々が行うべきであり、自分のマチや家族を守れない者がやることではない。「強い手」とは、単に大きな力のことではない。作為のない継続的支援のことだ。

幸か不幸か情報通信化社会、インフラの整備により様々なカタチで支援はできる。 しかし唐突だが、僕らの世代に信じられる絶対的なものと言えば辞書だった。辞書を「引く」という言葉から、今では画面上での「検索」と時は移り、その結果を信じて疑わなくなっている恐さがある。そのことに、気付こうとはしない。

一方的に頑張れと投げつけ、ただボタンを押して送信するのではなく“ 手を携える ”、それが助け合うということだ。そして「手を差し伸べる」行為が、本当に手の温もりのあるものなのか。その手は、力強さにみなぎっているか。

このマチで僕は、そんな強い手を創りたいと奔走する。


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※今日のヒトゴトではないヒトコト&ヒトリゴト&ヒメゴト
会わないと、解らないことって多いからね

※志賀氏的伝言板
本日神戸で『第3回ラグビートークライブ*プレミアム Special』 】 


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