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木曜夜、神戸には雨が降り始めた。一般に雨はネガティブなイメージで、何か辛い物事を洗い流すように降る雨や、誰かの涙雨とも思われがちである。傘を使うほどの雨には、みんな空を見上げたりしない。空を見上げてみれば、誰かの笑顔に会えるかも知れないのに、マチにそぼ降る雨は大抵歓迎されない雨なのだ。
夕方立ち寄ったシアトル系のカフェは、ルミナリエの初日のせいか、席を確保してからでないと注文ができない状況であった。席に着く。左隣の女子大生と思しき二人は、「ここに来ると人間ウォッティングをしてしまうよな」とハシャいでる。右にいる一人の女性は、店員に何も言わずに充電器をコンセントに差し、ずっと電話をしている。ここで涙する人などいないし、今のところは別れ話や喧嘩もない。
時代のお陰で、自宅でメモを見たり思い出したりしながら書く行為から、リアルタイムに書き貯めることができるようになった。無論、僕がその情景を盗むように書いていることなど誰も知らない。そんなことは意に関せず、皆笑ってる。月並みな言葉だが、その大半が平凡で、平和な日々と何ら変わらない姿なのだ。
東急ハンズ南側のアンテノールがドラッグストアになっても、北野坂の入口のベネトンがドコモショップに変わっても、通る度に景色の違うマチになったとしても、何事もないように平和が過ぎてゆく。山手幹線より上の北野坂も、ルミナリエに合わせてイルミネーションを灯すが、冷たい雨に掻き消されている。それでもその場所にいる人々は、我を張りながらいつものように頑張っている。
20時を過ぎると、更に雨は強くなった。傘を持たずに物を受取りに坂を降りると、北野坂のビルの前にラウンジの黒服が立っていて「志賀さん、この傘を持って行ってくださいよ!」と渡そうとした。僕はそんなこのマチの優しさを丁重に断って、更に歩を進めた。このまま雨を見上げながら、歩きたかった。
先月土曜の日帰りで九州大分に行き、急逝したエディターに別れを告げに行った時もそうだった。湯布院に向かう車中は、楽しそうな笑顔で溢れていた。そして今まさに夜が始まろうとするこのマチにも、雨を恨めしそうに思いながらも明るく振る舞う人々の受け皿がある。僕はその中を、雨に打たれながら、ただただ歩いた。
木曜の朝、また訃報が届いた。 まだ若い女性の、病状が急変した死だった。
今日だけは、遠い空とこのマチを遮るような傘は、いらないと思った。
コチラも >>>
※今日のヒトゴトではないヒトコト&ヒトリゴト&ヒメゴト
【僕はその旦那さんをよく知っていて、一度だけその夫妻とラグビー観戦をした時に会ったことがある その後に男の子が産まれて、去年、愛媛に旅行した時には一緒にとべ動物園に行ったが、奥さんはもう闘病中で会えなかった 残された旦那と小さな子供を、またこのマチで待とうと思う 】
※志賀氏的伝言板
【 各位 ネット環境インフラ整備できました 】
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