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【プロローグ】
「志賀」基地移設問題。最低でも県外…それはなかったが、最短で6月初旬リニューアルを考えていた。
しかしながら建築確認申請や用途変更、消防法など面倒な話が沸き起こってきて、焦って出て行く必要がなくなった。これまでも、やたらともったいつけた発表をしてきたが、正直言うと、まだ工程表も出ていないから無責任に言えない。つまり、焦らし引き延ばしてきたわけではないのだ…。
第一章【望郷】
高校へは自転車で通っていた。ラグビー部の練習が終わると六地蔵から山科駅への路線バス、京阪バスに乗るチームメイトに手を振って、何人かの自転車で家路へと向かう。信号待ちになると先に行ったはずのバスと並んで、窓から手を振る仲間にバイバイと応えながら、青の信号にベダルを漕ぎ出した。また暫く走った交差点で、停まっている同じバスに出会う。案の定、仲間は笑って手を振った。たった15分ほどの道程、帰るまでに僕は、何度「さよなら」を言ったことだろう。
第二章【憧憬】
大学4年の秋、実家近くの高校から常勤講師の依頼があった。出身高校ではなかったのだが、僕の高校時代の体育教師が教官室長になっていた関係もあり、近くに住む卒業見込みの体育大学生はいないかということで、僕が推薦されたようだった。高校で言う二学期を、怪我をした先生の代わりに、保健講義体育実技を週13時間受け持ち、ちゃんと給料をもらえるものだった。秋と言えば、大学ラグビー最後のシーズン。その頃の僕は一本目の試合に出るほどの器もなく、教員への夢も捨て切れずにいた背景もあって、山科駅のすぐ北にある、洛東高校の体育常勤講師の方を選んだ。毎日が知らないことばかりの連続である。それが功を奏したのか、無知ゆえの授業は歳の近い生徒にウケた。多分それは、センセイというよりもセンパイ、アニキという感じだったのだろう。冬休みを迎える終業式で、僕は思いもよらぬ花束や手紙をもらった。泣きじゃくる生徒達を背に、学校を去った。…はずだったのだが、冬休み中に「三学期もお願いできませんかね?」という電話が高校からあって、また休み明けに出向いた。生徒達が、「なんでやねん」と突っ込んだ。
第三章【情景】
寂れた商店街の一角に「店じまいセール」と書かれたノボリがあって、そこに向かう人は見る限りまばらである。おそらくそれはもう何ヶ月も同じ状態であるのだろう。新手の商売スタイルだと思われそうだが、買い物客も馬鹿ではない。
【エピローグ】
僕は新天地を、今か今かと想い描いている。しかしこの「志賀」基地移設問題。 アチラと同じで、5月末までには解決できそうにない。
※今日のヒトゴトではないヒトコト&ヒトリゴト&ヒメゴト
【 加納町から加納町やのにねぇ 】
※志賀氏的伝言板
【ってなわけで、現在の店営業最終日は 後日発表します 】
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