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■ 中毒性日記 2010
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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火曜日、特殊な電球を探しに、東急ハンズに行った。スペース球という円筒状の電球で、家電量販店や大型のホームセンターでも見付からなかったものだ。

流石はハンズ。透明やフロスト、何種類もあったが電球を持ってきていなかったので口金の口径サイズが分らない。そう言えば、昨日定規で測ったのは12mmだったのでそれを見付けるが、記憶のものより口径が小さい。どう見ても、14mmの方が記憶に近かった。キャッシャーで「記憶違いかも知れないので、また持ってきたら交換は可能か?」と聞くと、消耗品はその対象にならないそうだ。数百円のものだったからそのまま購入するが、その特殊なソケットにねじ込めばピッタリとハマる。測り方が間違っていたようだ。かくしてその照明は息を吹き返した。

人間の記憶というものは曖昧なものだ。大人になってから、子供の頃の校庭の大きさを小さく感じるように、擦り込まれる記憶は当時の年齢であったり環境であったりする。しかしそんな中、いつ何時でも、平面や立体的視覚、空間の捉え方により安定した記憶を植え付けられるのならば、それはデザインやアートに使える能力だと思っていい。つまり僕は、小学校の校庭はそんなもんだとずっと思っている。

以前にも書いたが、デザインに関わる人間の資質は「気持ち悪い」レイアウトバランスを、「気持ち悪くさせない」能力だと思う。センタリングの機能に頼らなくても限りなく近い中心を見付けたり、フリーハンドで円を描くことやスケッチで相手を納得させることができるのもそうだが、何よりもインプットとアウトプットの仕方に“ 誤差のないチカラ ”が必要になってくる。

“ 誤差のない ”これは非常に難しい。クライアントのイメージをヒヤリングし、それらを覆して奇をてらう提案もない訳ではないが、最終的にクライアントに「気持ち悪くない」と腑に落ちるところまで持って行くことがベストだ。つまるところ、「先生のお好きなように」がベストではない。例えばそれを手や口にするユーザーがいれば、「ユーザーのお好きなように」を探す。事業性ばかりを考えた発信する側のエゴは、時として社会公共性を無視する結果となる。学園祭に於ける、身内の打ち上げのようではいけない。やって良かったね、では成立しないのだ。

要するに、信頼できる記憶の刻み方が重要なのである。そのためには興味のない、まるで役に立たない物事への記憶も毛嫌いしない。その幅を創れば選択肢を設けることができて、アウトプットの仕方にも精度が増してくる。

電球がビンゴから、よくぞここまで難しそうなことを書いたな。


※今日のヒトゴトではないヒトコト&ヒトリゴト&ヒメゴト
この神戸で、ナンで開店ラッシュなんだろう?

※志賀氏的伝言板
ひなあられ、あります


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