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■ 中毒性日記 2008
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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金曜日。花粉のせいか目がショボショボして、身体もダルく少し喉に違和感がある。病み上がりだから、風邪との区別がつかないのも困ったものである。多分風邪はどこかに行った。代わりに、おすぎ花粉がやって来た。

昔ラグビーをやっていたというだけで「お前、あんなにしんどいコトやってきたんかぁ」と、学校もチームも違うのに意気投合したりする。それが練習だったり、不条理なシゴキだったり、なかなか治らない怪我だったりと、互いの当時の記憶を駆け巡りながら、それはもう握手や抱擁にまでに至っている。強かったとか弱かったとかは関係なくて、それぞれの時間軸に当てはまる体験がそうさせる。何度となく見てきた(体感した)そんな光景だが、それはちょっとあの記憶にも似ている。


金曜日の店。近頃玉を撞いた後によく顔を見せてくれるMクン(通称「ピスタチオ三木」)だが、彼もまた1995年震災のあの日、被害の甚大だった地域である長田の自宅にいた。偶然にも1月17日はお兄さんの誕生日で、前日から朝方まで友人と飲んできたお兄さんは起きていたそうだ。午前5時46分。あの日はほとんどの人が眠っていたものだから、それが地震だと把握するまで時間が掛かったものだ。僕も実際、夢にしては激しい揺さぶりに暫し呆然とした事を覚えている。

Mクンもまたそんな一人で、お兄さんの「じっ、地震や!」という声で、タンスが天井まで何度もぶつかる様の理由がやっと解った。1分にも満たないはずの揺れがもっと長く感じる。その後なんとか降りた一階で、両親の営む家業の理容室がぐしゃぐしゃになっていて外に出られなかったそうだ。どうにかして表通りに出て、すぐに隣に住む一人暮らしの老人を救出。ちょうど朝の仕込みをしていた向かいの飯屋からは炎が上がり、東から西への火の粉が広がりを見せ、なす術がなく呆然と立ちすくむ近隣の住民。その中に「俺の家もアカンなぁ…」と同じく見るしかない同級生の姿があった。地域の避難場所に指定されたのは、蓮池小学校の体育館。今の流行どころではない、インフルエンザが蔓延し咳き込む人々で埋まる場所だ。

「その体育館、プッシュホンのコード電話に行列できてたやろ おにぎり配給の行列もあったな 震災の夜にそこに自転車で向かったわ」

長田の知人を捜そうと17日夜、僕は盛り上がったアスファルトを避けて自転車を走らせた。聞いた避難所、暗い夜中の体育館で名前を呼んだ時「寒いから、早く扉を閉めてくれ」と真っ暗な奥から声だけがした。暖房器具もまだ届いていない体育館に、確かに咳き込む人も多かった。結局それ以上声を出す事を諦めて、壁が無数の伝言板になっている外に出た。助けに行ったはずの僕が、外で見知らぬ人に「みんな大変やからねぇ」とおにぎりを渡された。自分の無力さに情けなくなった。

「志賀さんもあの時間、神戸で同じ揺れを感じた人やったんですね」

へぇーそうなんやぁと何度も繰り返しながら彼はそう言うと、いつもより長く店にいて、いつもと違う酒を何度も重ね、震災の色々を話し合った。

今更ながら、神戸に認められた気になった。


※今日のヒトコト
つまり、金曜はバタバタしなかったという事である(^_^;)

※志賀氏的伝言板
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