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■ 中毒性日記 2008
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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6日火曜日。正月気分などどこかにやって、僕は色々動き出す。なぜか2010年までにと色々考えていて、今年は気合いの年にするつもりである。その割には手抜き日記にする。以下は、先日雑誌のメール取材で聞かれた事を送り返したものである。一部だけ掲載する。僕のルーツを垣間見たい人は、カイマミー。


家庭の事情で、学生時代からアルバイトに明け暮れていました。その中で特に長くやった、当時のカフェバーとホテルの配膳のバイトで、接客の仕事に就きたいなと考えるようになりました。有り難い事に、社会人ラグビーのお話もあったのですが、当時特有の「ラグビーができなくなったら会社に残れない」というイメージと、僕はそれほどの選手でもないという自覚がありましたのでキッパリとやめました。でもいつか違うカタチでラグビーに関わりたいとは漠然と思っていました。

就職はホテルでした。一応四大卒でしたので、色々な部署を経験し食堂課に配属。フレンチレストランのギャルソンと夜はバーラウンジという日々が多かったです。

特にバーには、様々な顧客がいらっしゃり、普通では名刺交換もできないような方々(特にバブルの時代でしたから)にお会いできたのは良かったのですが、そんな一部の上顧客にだけ、支配人や料理長が挨拶に行ったり「粗相のないように」と僕達に念押しをされた事が嫌でしたね。

「サービスは、その敷居をまたいだ人々それぞれ平等に」

「サービスをサービスだと感じさせないのがサービスだ」

と研修で教えられたはずなのに…。

そんな背景もあったので、有名著名人であろうが、役員であろうが、外国人であろうが、無論、お勤めの方であろうが、差別区別しない店をやりたいと思い始めていました。(「どうしてバーテンダーになったか?」という問いに対し)



他には「いつか『40を過ぎたら京都でバーでもやろうか』と思っていたきっかけ」「震災の際の顛末」「デザインの仕事とバーの関係(特にインテリア的にデザイン感覚をどう生かしているのか)」「こういうお客様にこういう飲み方をしてもらいたい…みたいなイメージがあれば」「お店に対するこだわり」などがあったが、それはまたネタに困った時に使うとしよう。

改めて想うと、そうやったんやなって感慨深い。


※今日のヒトコト
【新潟で引退したサッカーのできる猿、K本から来た年賀状には、 「志賀直哉様」とあった  さて、どこが間違っているでしょう? 俊哉も多いんよね】

※志賀氏的伝言板
【今月25日の日曜日 店でライブがあります  僕は場所をお貸しし、ドリンクの提供をするだけですが始めての試み、楽しみです 『神戸加納町 酒と音符と男と女』〜二胡、ジェンベ、ギターの饗宴〜 詳細お問い合わせは  >>>こちら


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