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■ 中毒性日記 2008
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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金曜日、久々に自転車で塩屋を走る。無性にワンダカレーが食べたくなった。ゆるーくて狭いマチの商店街を入るとすぐに、これまたゆるーい店主と店がある。袖触れ合うも他生の縁的な生活道路沿いだから、僕が牛すじカレーの大盛りをむしゃむしゃ頬張る間にも主婦の集団がいたり、塩屋ならではの外国人とその赤ん坊が通り過ぎる。どうして外人の赤ちゃんはあんなにカワイイんやろうねぇと誰もが言うが、多分に漏れずカワユスベイビーだった。まるで高島屋のローズちゃんのようだった。あんな子供なら、僕も産んでみたい。産むんかい。

塩屋の駅周辺にいると、今が平成の感じがしなくて、トタン屋根やコンテナのような商店が懐かしい。八百屋、豆腐屋、総菜屋、居酒屋、肉屋、魚屋、ケーキ屋…そう、どの店も○○屋というまさしく屋号が似合う。おそらくはもっと昔、この商店街もぎっしりと店が並んでいたのだろう。突然あったりする喫茶店も古ぼけてはいるが、ココの歴史を垣間見てきたはずである。

そう言えば駄菓子屋らしき店はここにはない。小さな頃から塩屋に育った隣人佐川満男氏やcafeCARTAのF田さんに聞いてみたいものだが、残念ながらコンビニやスーパーはあっても、僕らが子供の頃に通った店にあった「当てもん」や銀玉鉄砲、シャボン玉、不思議な煙り、スパイセットは売ってない。今思えば、セメダイン風船(チューブからセメダインを出してストローに付け膨らませる)なんてシンナー臭一杯の危険な臭いがしたし、赤○号、チクロなんて有害な添加物も多かった。そういうものをくぐり抜けて、僕らは「免疫のある」大人になったのだろう。

最も子供の心を熱くさせたのは、まだ瓶だった頃のコカ・コーラだった。あのグラマラスボディをモチーフにしたボトルの形にではなく、王冠の裏蓋にある「くじ」の事だ。ミリンダや割安感のあるチェリオにそれがあったかどうかは覚えていない。コーラ、ファンタ、スプライトの王冠をめくると、50円くらいまでだったかの当たりがあって、その場でお金が貰えたのである。子供にお金。落ちてる王冠がまだめくられてなかったりしたら、取り合いになった。それからそんな当たりがなくなって、コカコーラヨーヨーコンテストやBanBanボールコンテストに僕らは熱中した。昔からコカコーラ社は、上手いプロモーションをやる企業だった。

お客様とそんな話をしていたら「瓶の底付近にあるくぼみが、四角なら辛い、三角なら甘い味だって噂になってましたね」という話を聞いた。僕の記憶には全くないが、これらはまさしくまことしやかな「子供騙し」であったに違いない。なぜなら、僕の店にも瓶のコーラがあって、確かに四角と三角のくぼみに別れるが、味は…同じである。実はそのくぼみの意味、僕は夢のない答えを知っている。スコッチなど酒にもあるが、そういった類いのくぼみは、工場での生産工程、流れ作業のコンベアに引っ掛かり、正面を示すものである。ラベルを貼ったり印刷したりする向きが分かるのだ。同じくビール瓶にも、出っ張りだが同じ理由のものがある。

そう考えると、大人は現実的である。あの頃の夢も噂も、全て「レトロ」で片付けてしまう。それはあまりにも安直であり、至便なこの世の中に創造をしなくなった自らを見ないでいる。ただ流れのままに、ぬるま湯に浸っているようにも映る。

人が作ったはずのものに、実は操作されているような世の中である。

時代の利器なんかより温もりのある、そんな仕事がしたい。


※今日のヒトコト
【僕が塩屋の街並が好きなのは、レトロではなく 「息づく今」だからだ

※志賀氏的伝言板
2日の日曜日、店を開けます


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