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阪神電車が、半身浴電車ならどんなにいいだろう…志賀でございます。水曜は新喜劇の緑ヤクザの襲撃を受け、僕は黒糖焼酎で応戦し彼は撃沈、同級生とのやり取りは何とも楽しい時間であった。同級と言えば、包み隠さず堤真一にも勝手に仲間意識を持っているが、彼の近作「クライマーズ・ハイ」はまだ観ていない。しかしその原作本にはハマっていて、やはり三宮大学の助教J子さんの勧めだけの事はある。たまたま読み終えた司法書士Tクンから借りたのだが、僕は他の誰よりも身近にソレを感じている。主人公の家族や環境が、僕とかなりリンクするのだ。父は新聞記者だった。色々を思い出しながら、残る後半を読む事にする。
ずっと曇りが続いている。深夜にNHKを点けても、もう世界のスポーツ選手は映されていない。それが退屈な日々かと言えば別段そうでもなく、彼らの日々の練習がまた始まったように、僕のイメージの増殖すべき日常もまた繰り返される。おそらくは9月から、僕にとっての競技・試合のようなスケジュールが新たに組み込まれるが、その感覚を研ぎ澄ませるために、時間はただ漫然と流してはいけない。
徒然。誰も言わないし書かないからしたためてみるが、小学校からずっと水泳の花形はクロールだったと思う。自由形と「自由」なのに、皆最も早いクロールを選択する事でも解る。その種目別やメドレー、リレーなどで前人未到の金メダルラッシュ、フェルプス(ヘルペスと聞こえて仕方がない 何かの種目で競いあったシェーとの「ヘルペス!シェー!ヘルペス!シェー!ヘルペス!ひぇえええ〜〜」のアナウンスは性病の恐ろしさを語っているかのようであった)だが、クロールが花形だとしても『個人平泳ぎ』にもエントリーして欲しかった。フェルプスが避けたのか、それとも…。彼のメドレーの凄い平泳ぎを観れば、憶測が憶測を呼ぶ。
身近にオリンピック選手がいた事があるかと言えば、流石に体育大出身の僕からすれば、ウヨウヨ(死語)いた。大学時代には、ハンドボール、水泳、トランポリン、その他全日本の監督、コーチ。そういった話をしていたら、一つ思い出した。中国劉翔棄権で物議を醸した110mハードルだが、僕の高校の体育教師が日本代表、オリンピック選手だったと思う。髪がオールバックで、みんなはダーティーハリーのクリント・イーストウッドだと言ったが、僕はレインボーヴォーカル、グラハム・ボネットだと思ってた。要は、女子の注目を一斉に浴びる男前だった。
陸上部の顧問であり、全ての練習が終わってからハードルを並べ一人黙々と走っていた。当時の日本記録を持ち、そこで練習に勤しんでいたとは到底思われない公立高校の狭いグランドで、先生は何本も何本も駆け抜けた。ハードルは飛ぶのではなく「またぐ」のだと初めて知った。部活動競技を通り越して、解り易く僕らはその先生を尊敬したが、それが体育の授業でも廊下ですれ違ったとしても、言葉や態度には出さないちょっとした反抗期を見せた。心の中ではいつも、村下孝蔵の「初恋」のように、遠くで憧憬の念を持っていた。(変な意味じゃなく ^_^;)
小学校から大学までそれなりにラグビーに関わって来たけれど、僕はそれほどのステージにはいなかったと思う。つまりは、打ちひしがれるほどの挫折感など経験がないし、自分の出ていない試合に心の底から喜べる事など実はなかった。しかし今になって思えば、スポーツという競技を通して学び出会えた仲間がいた事で、受け皿と言うか忍耐と言うか、はたまた世界観というものが僕に幅を持たせたのだと思っている。だから今の僕は、羽ばたけるステージを別に持った。
孤高に走る、あの先生のように。
※今日のヒトコト
【 アスリート(競技者)に憧れ、そうありたいと思い続けるのだな、きっと 】
※志賀氏的伝言板
【 日曜は 09:20 スタートでよろしく 】
※お知らせ
【志賀クリエイティブディレクション担当 旧居留地東の京町筋(ジル・スチュワートの2F)に、7月13日オープンしました! >>>『cafe CARTA(カルタ)』 】
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