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■ 中毒性日記 2008
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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また雪が舞った日中、寒い水曜日であった。夜中に、近くの高級和食の女性が、まかないに出された粕汁をわざわざ持って来てくれた。まかないは美味いと相場は決まっている。この寒空に、独り者にはナンとも贅沢な差し入れであった。

近頃は店に入る前の数時間に、暇があれば再び玉(世間で言うビリヤードの事)を撞く様になった。ちょうど発展途上のB級と呼ばれるランク(試合に出る時のハンデ プロ・SA・A・B・Cとある)のプレイヤーが多い店なので、僕もハマった若い頃を思い出しながら、偉そうに言えば時に胸を貸したりする(一応A級だったので)。どこかで書いた様に、僕の19歳の頃から本格的に始めた。その頃は、中学時代のボウリングブームに伴い、やんちゃな中学生なら誰でもボウリングとセットで見様見真似でやったものだから、大学に入ってすぐに見たボウリング場とは違う「玉撞き屋」の台でも、簡単にできると思っていた。でもそれは大間違いだったとすぐに気付く。遊びとは言えども奥深さは尽きる事なく、毎日6時間は撞いた。

これも多分以前に書いたと思うが、その店は京都の烏丸紫明通りを上がったところにあって、1階が駐車場、木の階段を上って2階には、4つ玉、スリークッションのキャロム台(穴のない比べて少し大きな台)と、その奥にポケット(カラーボールを使う6つ穴)が2台、計4台の典型的な玉撞き屋だった。髪を切ってもらってた店長さんに連れられて行ったのだが、夜な夜な集まる明らかに異業種の人々(タクシー運転手、胡散臭い社長とその愛人、自営業と言うが職業は分からないオヤジなど)に不思議な感じがしたのを覚えている。思えば、ルールの中でハンデの割り振りがありながら、年齢立場も関係なく競い合える、とても有意義な場だった。ここでローテーション(15個の玉を使う、番号がそのまま点になり予め決められた点数を競う)を覚えた。それから2年ほどして映画「ハスラー2」により、空前のビリヤードブームが来る。僕は得意気に、にわかハスラーを撃破した。

実は仲間とは違う場所(下鴨本通)でも撞いていた。闇の練習という事ではなく、同世代で競い合うのも面白かったし、パチンコ屋の2階というロケーションも気に入っていた。そこにはロカビリーダンスチームで格好良く踊っていたというジミーさん(でも小さな日本人)がいて、僕らに驚く引き玉(バックスピン、ドローショットとも言い、手玉が先にある的玉に当たってそのまま戻って来る撞き方 撞点は中心よりかなり下)を見せてくれた。プロでも押し玉(トップスピンを掛けるフォローショット)より引き玉のコントロールの方が難しいと言うが、未だにあんな「引き」をする人にはお目に掛かっていない。

要するに、普段の生活や職業、ステイタスがどうだとかいう事は何も知らなくてもよくて、尊敬できるポイントが「玉の上手さ」にあったのだ。鼻たれ坊主で皆からバカにされた少年が、メンコやビー玉、相撲に強かっただけで人気者になった事と似ている様に思う。実際暗黙の了解で、玉撞き屋に出入りする人に「何の仕事をしてるの?」とか「どこの大学?」なんて会話はほとんどなかった。お察しの方もあるかと思うが、皆それどころではなかったのだ。「それで生活をしている」人もいたらからである。つまり賭けの対象になっていた。

負けて払えない額のために、何十万円もするキュー(アメリカではスティックと言う、プレー棒の事)を置いて行く者もいれば、トイレの窓から逃げ出すヤツ、泣く泣く払いながらついには怒り出してキューを折るヤツなどたくさん見た。仕方なく誰かに借りて、翌日から来なくなったヤツもいる。聞けば、そうやってその店の常連から少しずつ金を借りていた事が発覚する。そんな事はしょっちゅうだった。(まぁそういうヤツは全国の玉撞き屋に指名手配を食らうのだが)

何十万円もすると書いたが、僕が初めて19の歳に買ったキューは6万5千円で、石垣という日本のメーカーのモノだった。バイトして必死で手に入れた。日本には世界に誇るアダムというメーカーがあるが、僕にはまだそれには早かった。ある程度撞ける様になってから、「預かっておいてくれ」と渡されたアダム・ヘルムステッター(同社がアメリカ工場で作った世界標準品)は19万円ほどしたそうだが、気が付けばその持ち主はいなくなって、自然に僕のモノになった。

22歳の時に試合にも出る様になり、とうとうカスタムキューに手を出した。カスタムキューというのは職人による機械行程に頼り切らない手作りで、本数も限られている。基本的に素材はカナディアンメイプル、楓の木が多いのだが、その中でも根っこの部分からしか取れないバーズアイメイプル(鳥の目の様な模様が幾つも入る)、黒檀、象牙が使われていて、握る部分がそれぞれのパーツからできている、なかなかイカすヤツを買った。アメリカのメーカー、JOSS-No18。ちょうど契約プロのマイク・シーゲル(「ハスラー2」でトム・クルーズを指導した だからフォームが似ている)が何度も世界チャンピオンになった頃で、値段もあってない様な世界だが、どうしても欲しかった。新品で58万円だった。

そのキューは、25歳で売りに出し、中古ながら35万で売れた。木でできているキューは生き物で当たり外れがあって、ある程度「枯れた」状態の中古が重宝されるからだ。転勤で玉を撞く環境がなく、それはゴルフのフルセットに形を変えた。

神戸に移り住んで、30歳で震災が起こる。その流れで31歳の8月に店を始めたら、向かいに玉撞き屋があったせいで再びキューを持つ事になる。もう僕の持ちキューはなくて、そこのバイトのブレイクキュー(ゲーム最初のブレイク専門キュー)を借りている。それでも調子が良ければ一日5回はマスワリ(ナインボールで言うところのブレイクランアウト、つまり最後まで相手に回さずに入れる事)が出るし、なぜか今のところハンデを出している場合がほとんどである。

「玉撞き、ビリヤードは、イメージしたプラン通りに行かない時の修正能力と、過去に見た配置や局面に対する記憶力のある人間が勝つ」という持論がある。それは、かなり負けている時に勝ちへと転じる盛り返しも含んでいるが、それらがない人間は、いつまで経っても上手くならないジレンマに苛まれるのだ。

どこか仕事の様であり、人生の様でもある。


※今日のヒトコト
ええ、ココでは書けない修羅場も潜りましたよ

※志賀氏的伝言板
本日夕方、リッツカールトンにいます


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