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■ 中毒性日記 2008
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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突然雨になったり晴れ間が見えたりして、不安定な天候が続く。水曜日、久々に区役所に行った。垂水にも外国人が多い事を知る。インド系に見える彼らだが、おそらくは三宮北野辺りにいる彼らとは違う。中国人の華僑・華人とそうでない人の様に、同じ顔をしていても二極化された世相はどの国も変わらない。

過日に僕の喰らいっぷりが掲載された雑誌で、僕の昼間の職業がクリエイティブディレクターではなく、クリエイティブ「デザイナー」となっていた。編集者は恐縮してメールをくれたが、僕はこの事で色々気付かされて、逆に感謝した。

実は僕は自分の事を「デザイナー」と言った事はない。以前どこかで書いた様に、デザイナーとは事業性や公共性、時代を意識し、意匠・商標登録、デザイン権の侵害などの法律を知り、クライアントとの協議の上に成立する仕事であるはずである。方や「クリエイター」とは、陶芸家やフォトグラファー、前衛アーティストにも見られる創造性・独創性の中での自己表現に重きがある。つまりはデザイナーでいうところの事業性の前に、「売るためにモノを作るのではなく、創ったら売れた」という定義に近いものがある。だからそれぞれは別物として認識されるはずが、一般にはそのどちらも同じ様に捉えられている場合が多い。

これも何度も書いているが、「デザイン」とは設計、図案、意匠の他に、複数形で陰謀、企み、下心までの意味がある。辞書によると、『have [harbor] designs against a person』として、『人に殺意をいだく』なんてものまで含まれてしまう。それは意図的な仕掛けとも取れるし、メジャーリーガーなどは「試合をデザインする」という英語を使う事もある。僕はデザインに関わる仕事をしているが、それはその事を踏まえた上でのアートディレクションを担当したり、クリエイティブディレクターとして細部に渡るトータル的な判断をする事であり、その行方を見届ける事ができない様な、デザインだけを担当するものではない。

ただ冒頭の「クリエイティブデザイナー」の間違い(?)が、頭の片隅に置いておくべき「デザインに於ける独創性」と「クリエイティビティに於ける事業性」を思い出させてくれた訳である。デザイナーとクリエイターが違うものだという認識の中で、それぞれが共鳴する、表面には出ない目論見を忘れてはいけない。

作曲にしてもデザインにしても、これほどまでの歴史の中で生み出された(産み出されたと言ってもいい)作品の影響、擦り込みの記憶の中で、模倣ではなくパロディという自覚ならばそれらは問題はない。ディレクションは「導き」だと思う僕の定義で言えば、クリエイティブディレクターという職業は、目指す先に光を照らす仕事だと、これも忘れてはいけない使命なのである。


※今日のヒトコト
【企ては確かに大切だが、作為的に事を運ぼうとすると大怪我をする  仕事に対して営業するという考え方ではなく提案をしたい  それには、自分の業界に人脈を作る事に躍起になるよりは、外に繋がりを持ち見聞を広める方が大切なのだ】

※志賀氏的伝言板
「Meets Regional 3月号」 発売中! 志賀、麺喰らってます


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