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■ 中毒性日記 2008
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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水曜夕方、マンションの駐車場に向かう途中で、制服を着た女の子に出会う。「おぉっ、元気かぁ! 今、クラブ何やってんの?」僕が聞くと「バスケ」とその子は答えた。6階に偶然住む、大学ラグビー小山先輩の娘である。震災の時には、まだ歩けず話せない赤ん坊だった。子供の時からの呼び名、ひーとん(ひとみちゃんゆえ)と呼ぶのは躊躇する、もう中学生である。

FMでは、明日で震災から13年を迎えると話してる。ますます希薄になる現代の人間関係に、隣近所のコミュニケーションが防災に繋がると話していた。当時僕は30歳。男の成人は30歳だと思ってたくせに1994年の年の瀬にフラれ、成人らしきビジョンを持たないままに年を越していた。そしてあの日、地震が起こる。幸いに僕のフロアは4戸と少ないお陰で普段から面識もあり、すぐに互いの安否を確認できた。13階から6階の先輩宅へ行き同じく元気な姿を確認し、ライト付きの携帯ラジオを置いて僕は車のラジオを聞きに行った。状況の伝わらない番組内容に業を煮やし、思わずエンジンを掛けとにかく外に飛び出した。

ジェームス山の高級犬が首輪とリードを付けたまま、行く当てなくグルグルと走り回っていた。高速道路は須磨の料金所で引き返すしかない渋滞だった。明るくなり始めた道路のアスファルトは盛り上がっていて、水道管が破裂、どこからかガスの匂いがした。何が起こったのか、しっかりと理解し判断するのには落ち着く事だったが、ジッとしているのが怖かった。止まれば、心臓の鼓動が大きく響くのだ。

震災を忘れる事はない。リビングには今でも、50インチほどのワイズバッシュのリトグラフがあるが、あの日からその絵は少しズレている。額装が立派なせいで、後ろから簡単には外す事ができないからそのままにしてある。その震災で、僕は生まれ育った京都ではなく神戸で店を始める事を決めた。4月からの工事。西から東から建材や職人の調達。4ヶ月かけて8月「志賀」のオープンを迎えた。震災と共に13年。だから震災を忘れる事は決してない。

生かされた僕らには、生きる使命がある。義務だと言ってもいい。

回り続ける車輪は錆びない。転がり続ける石には苔は生えない。回り続ける事も転がり続ける事もできなくなった人々の無念を思えば、僕はもっと生きなければならないし、誰かや何かを生かさなければならない。

今は朝。あと少しであの時間を迎える。生きて働ける幸せを噛み締めながら、今年もまた奔走、邁進、そして足跡を残したい。


※今日のヒトコト
【音楽、スポーツ、物書き、出版、デザイン、酒を供する事も含まれるサービス等 日本だけに留まらず、世界にだって堂々と向かえる仕事だろう それらは人を楽しませる事も、悲しませる事も、色々思い出させる事だってできるのだ  たまたま僕も幾つかのそんな仕事の近くにいる とても幸せな事だと思う


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