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■ 中毒性日記 2007
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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比較的過ごしやすい週末。芸術の秋真っ盛りである。

ブルマンが「仁義なき戦い」についてハマっているそうで、自身のブログで書いて、それが金村先輩に飛び火してリアルな思い出を語ってた。大学ラグビー当時、その先輩や盛田さんという南寝屋川出身の強面先輩(僕がドイツ語の代辺をしていた)に、学芸部、東映担当記者だった僕の父親からもらった「仁義なき…」の宣材モノクロ写真(映画館で貼ってるヤツ)をあげたら、大層喜んでいたことを思い出す。ウエイトトレーニングのチーム分けで、金村総業、盛田一家という「組」があるほどその世界が好きな二人だ。ちなみに僕はそのどちらの構成員でもあった。

あのモノクロ写真は、僕には何の価値もないと思っていたが、それから暫くして後悔する事になる。京都三条近くの通称龍馬通り、東映系の映画を放映していた「京劇会館」の閉館が決まって、最後の映画が「仁義なき戦い」5部作('73〜74)一挙放映だった。午後8時から翌朝まで一人で観に行き、僕は衝撃を受けた。

最初は満席で、中には本物ヤクザが一列を占めた。なぜか上下が真っ白なスーツでボルサリーノの、日活映画に出て来る昭和の殺し屋みたいな人もいた。今から思えば、あの格好なら殺し屋だとすぐバレる。「文太!」「松方!」と歌舞伎の様に声を掛ける男もいたが、それは京劇最後のお祭りと、誰のお咎めもなかった。

僕の小学校の頃から始まったシリーズだが、こうして一気に観るのはある程度分別付く様になってからだから、時代劇で言う所謂「斬られ役」のピラニア軍団、の室田日出男、川谷拓三、八名信夫の登場シーンは見逃さない。小学校の頃、父親に「あの人達は大部屋俳優だけど、彼らがいて映画が成り立っている欠かせない役者」だと言われていたせいもある。父が「拓ボン」と言っていた川谷拓三に関しては仲が良かったそうでよく話を聞かされた。なぜか殺されるヤクザとその他警官役もこなす、後にどん兵衛のCMで有名になった役者である。でも僕は同じくピラニア軍団で同姓、志賀勝に関しては、親戚でもないのに妙な肩入れをしていた。スタローン、ロッキーバルボア級に、役者の幅が限定されるその風貌は忘れられない。

最終電車がなくなるからと、ヤクザの皆さんが帰ったとは思えないが、5作目を終えた京劇の朝、客席には数人の男性しかいなかった。ヤクザ映画を観た後は肩で風を切って歩くなどと言ったりするが、そろそろ出勤の始まった河原町をそんな気分で歩く訳にはいかず、僕は一旦山科の自宅に戻ったんだと思う。

固定ではなく手回しカメラで撮られた映像は斬新で、サブリミナル的に今も記憶の中にある。その後、晩年「いつかギラギラする日('92)」で見せたスピーディーなカメラワークも、タランティーノが「レザボアドッグス」や「キル・ビル」でオマージュし続けた、深作欣二ならではのモノだった。

黒澤も深作も、ハリウッドがリメイク、手本にされた人である。昭和は、邦画の全盛だったと言えよう。少なくとも平成に、僕がそう思える監督はまだいない。


※今日のヒトコト
「仁義なき戦い」は、1973年1月から74年の6月で完結する(最後の「完結編」は脚本家を変え、当初予定にはなかった作品だから実質は1年間で4作品を出すものだった)という短期間に、驚きの5部作なのである

※志賀氏的伝言板
ラグビー、土曜は自宅で生中継観戦


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