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■ 中毒性日記 2007
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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週明け、一日中の雨。僕の店の様な場所は、雨が降ると全く人が来ないか滅茶苦茶来るかのどちらかである。この日は前者。静かな店にもほどがある。「『志賀』を存続させる委員会」を作ってもらいたい気分だ。月曜日からネガだな(-_-;)

そんな寒い店に、とうとうファンヒーターを出した。しかし、数年前までは18リットルタンク1000円を切っていた灯油の値段が、去年だったら1200円までで、今は1500円を越えてしまう。ガソリンに関してはそんなに思わないが、店の石油ファンヒーターに使う灯油には、この価格変動に驚いている。ブログへの書き込みで、僕の店にそのヒーターの匂いがすると冬を感じるという様なコメントがあったが、僕も懐かしい小学校の頃の石炭ストーブを思い出したりする。

石炭当番が置き場に楕円のバケツで取りに行く。スコップで石炭を入れ、教室に戻って金はさみでストーブに放り込む。その周りには四角いスチール網状の仕切りがあって、トタンの煙突が教室の外に伸びている。ストーブの上には沸騰したヤカン、授業中も蒸気が吹き出しチンチン言っている。休み時間に近くで暴れていて、ストーブにぶつかって手を火傷した子がいた。誰かが家から餅を持って来て、網などなしにヤカンをどけた上に置いて焼く。餅は膨らみはしても、ただへばりつくばかりで、食べられる部分は少しだった。「休み時間に勝手に餅を焼いた人」と手を挙げさせられて、廊下でバケツを持って立たされたヤツがいた。

同じ頃、自宅や親戚の家で熱湯を入れた湯たんぽや、掘りごたつでも火傷することがあった。石炭ストーブと共に、それらの原始的なツールは鳴りを潜めていった。いつからか教室にガス管が通って、ガスストーブになっていた。それはぶつかってもそれほど危険性はなかったが、石炭と同じ様に換気は必要とされた。僕はその事が、ストーブから出る温かさと一緒に、ガスが出てしまうからだと思っていた。そして相変わらず懲りずに餅を焼くヤツがいた。案の定、先生に怒られていた。

給食時、食パンを焼くヤツがいたが、ガスストーブでは火力が弱く上手く焼けなかった。その部分で言えば、石炭ストーブに軍配が上がる。元々トーストの原理は両サイドからの挟み焼きだから、ガスストーブの上で焼ける訳もなく、しかもスペースは限られていて順番がある。自然と誰も焼かなくなった。

僕の小学校在学中はエアコンなるものはなかった。夏は扇風機がなぜか教壇の近くの天井角で回ってた。ストーブも教壇の窓側にあった。先生優先の様だった。「子供は風邪の子、大人は火の子」などと言いながら、半袖半ズボンで6年間を過ごした僕だったが、今も昔も、大人は暑さにも寒さにも弱かったのだと思う。

その後時代は流れ、冷風機、油が循環するタイプのオイルヒーター(保健室や病院に多かった)、ファンヒーター、一つの箱で夏と冬を切り替えられる冷暖房機が登場する。リモコンで操作するのは当たり前になって、デジタル制御もスタンダードになった。そんな中、僕が店で石油ファンヒーターにこだわるのは、なくなる都度入れなければならない灯油が、どこか懐かしい石炭の様だからかも知れない。

匂いがするアナログな、石油ファンヒーターの季節がやって来る。


※今日のヒトコト
匂いは、昔の方が多かった様な気がする  現代は匂いが少なくなったのか】

※志賀氏的伝言板
日記さぼりで、ブログ画像ばかりでゴメン


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