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■ 中毒性日記 2007
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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外が寒いのか暑いのか、曇ってるのか晴れてるのかさっぱり分からない。月曜も火曜も、夕方まで寝て一気に風邪を治そうと思った。昼の仕事は停滞中である。

一人暮らしのメリットは、風呂にも入らずに、大毅弁慶みたいな恥ずかしい頬冠り(バスタオルで)して我慢大会の様に布団の中に芋虫となる、それに集中できる事である。無論デメリットは多い。誰かに「すいません、会社休みます」と伝言を頼めない。買い出しに行けない。看病されない。溜まる洗濯物と格闘しなければならない。電話、メールのチェックを随時しないといけない。どうしても連絡しなければならない相手には、日中に起きてメールなり電話なりをする。窓口も、交渉も、打合せも「僕」なわけだから、ただ眠らせてはくれないのは仕方がない。こんな時だけ、アシスタントが欲しいなんて贅沢にも思ったりする。

寝込むのはダメだ。弱気になって後手に回って、旬を取り逃がしてしまう。自己管理の甘さに情けなくなるのだ。ラグビーをやっていた学生時代は「風邪で休みます」なんて言おうものなら、「アイツは精神的に弱く、肝心な時に頼りにならないヤツだ」とレッテルを貼られたものだ。事実、試合中の名誉の負傷による休みと比べると、バケツを持って廊下に立たされる事と同罪くらいに思われた。今思えば、小学校の水泳の授業見学者もそれに近かった。「身体の弱い子」扱いとなる風邪には、一般的な疾病であっても「大人と子供」の境界線があった様に思う。

小学校の頃、本当に風邪で休んだとしても、翌日学校に行く時には多少の勇気がいった。休んだ日にあった授業も給食も様々な出来事も、たった一日を知らない自分が、学校や友達から疎外された気持ちになった。だから休みたくなかったし、スポーツをする事で心身ともに鍛えられていったのが嬉しかった。熱っぽいなと感じても、走り回って「自然な汗」を掻く事でそんな気怠さはどこかに消え去っていた。大袈裟に言えばあの頃は、仲間と時間を共有できない事が恐怖だった。

どこかの役所であった「親戚に不幸があった」と何度も弔休をもらった常習犯は、「麻痺」でしかない。その人がいなくなっても職場は機能して、誰もその事には関心を示さない。組織が大きくなり、人がそこにいなくても何かと通信手段があるこの時代だから、個の重要性を問うよりも、マジョリティの生産性を謳うのだ。

方や、今の僕が自分の名を看板にして店に立ったり、デザインに携わる会社をやるのも、「休まれちゃ困る!」「連絡が取れないけどどうなっているのか?」と言われる事で、存在価値を確認しているのだと思う。

体調を崩したり、事実こうして日中を自宅で過ごしてしまうタイミングが訪れる度に、小学校の頃を思い出す。無理をして人にうつすくらいなら自宅療養は必要だけれど、「仲間と時間を共有できない」事は何よりも恐ろしいと顧みたりする。

そうならないために自己管理に気を付けなければと思う分だけ、僕はほんの少し小学校の頃より大人になった。風邪如きで、そんな気がした秋である。


※今日のヒトコト
一番の問題は、まだまだ若いと思ってる事だ

※志賀氏的伝言板
28日、花園でのトップリーグ開幕戦だ!


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