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■ 中毒性日記 2007
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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腹が減ったので、営業時間中にも関わらず、子機を持って中華に行った。ちょうど亀田がTKOで勝っていた。ボクシングには詳しくないが、僕が過去にリアルタイムに観たピストン堀口(ウソ、見てるわけない)いや、具志堅の圧倒的な勝利に比べ(サイズにも因るのか?)消化不良の感はある。致命傷にならないためのレフリー判断に因るTKOなのは解るが、ナンだか物足りない。神戸の世界チャンピオン長谷川さんは、つい先日までアルバイトをしていたそうだ。応援にも力が入る。ハングリーが全てだと思わないが、演出よりも純粋な闘拳を観たいものだ。

店では、六甲ポジアンで食事帰りの、三宮大学の助教授とお姉ーまさんの、ロバアタKスケ拉致事件に遭遇した。Kスケくんの受け皿は、三宮一、いや日本一だと思う。やり方は違えど、同じ酒を扱う店の仲間として尊重できる、なかなかいい店、いい男だと思う。6月に高級鉄板焼き店で、助教授&志賀の誕生会をしようという話しになった。僕が用意できるものと言えば、折り紙の輪を繋げた鎖と、ティッシュで作ったバラの花くらいしかないのに、有り難い話である。

夜中には同じく三宮大学の教授が、舌の先が二つに分かれてヘロヘロの聴講生Fくんを連れて来ていた。教授は、近頃の漫才を「老人、弱者ネタばかり」と嘆いておられた。意外にも、面白いと思うのはチュートリアルくらいだと言っていた。確かに彼らは独自性がある。僕もDVDまで観たことがあるくらい好きだ。

昔の漫才(ココで言う昔は、THE MANZAIの漫才ブームより前)は、自分の嫁さんや家族友人、落語で言えば長屋の話が多く、こちらは引き込まれたものである。顔の見える範囲の話はイメージができる。それは演者、舞台に立つ人間に責任の取れるネタで、観ている者、聞いている者には安心して笑えるものだったからだ。

古典落語の世界だが、故桂枝雀の「緊張と緩和」の手法は何度観ても飽きさせなかった。しかし近頃は、芸とも話術とも言えなくなって、シュールリアリスムを履き違えている輩も多いから、そのテクニックも小手先に変わってきた。その昔は、正月番組か寄席舞台でしか集まらなかった芸人が、今は様々な場所で徒党を組み、誰が来年にいなくなるかなどという心の中と裏腹に、歌で言う「一発屋」でも狙ってるかの様相である。とっ、totoかぁ!

言葉を話すとは「放つ」だ。グサッと刺さるほどの言葉を放てば、返ってくる様々を受け止める覚悟がないといけない。投げっ放し、イジメっ放し。そんな潔さのない言葉を手放して生まれる笑いは、「自分はそうじゃなくて良かった」という安心の笑いも含まれている。笑いが起こったことだけで良しとするのも考えものだ。

今ほとんどの「笑い」は、その質が変わっていることに気付かないといけない。


※今日のヒトコト
【そんな話しを、 吉本のエラい人になった同級Nに話してみたい

※志賀氏的伝言板
近頃、起きるのが辛いです


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