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■ 中毒性日記 2007
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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前日の雨が嘘のように晴れ、夕方また雨の水曜日。塩屋まつりパンフの納品に、地元の自治会館(と言っても小さな一軒家風)を訪れ、その足で明石までリハビリに行く。リハビリというものは、先の事故は勿論、今までの浄化だとも思っているので億劫でもない。但し、それに慣れてはいけない。老いと直結にはまだ早い。

店のオープン前、また店の近くの中華に出向く。僕がどれだけこの中華店家族と仲がいいか(と言うかファミリー扱いされているか)、それは多い時には一日2回行くことと、この日記に書いてから知り合いが訪ねるようになったことが挙げられるが、「客である」という一線は辛うじて守られてきた。そのはずだった。

以前書いたのは、その店に掛かってきた電話相手に「店までの道順」を説明させられることだが、それはまぁ仕方がない。大抵僕は一人でカウンターに座ってるし、18歳の息子は「キョウハ、ミセイソガシイデスカ」といつも大人のように聞いてくる関係である。しかも、特にここのオヤジとお母さんが電話に出たときは、日本語がイマイチゆえ無言で受話器を僕に向けてくる。しかもそれが子機でなく親機だから、もうほとんど僕はキャッシャーの奥で「店の人」になっている。

どこの国でも、家族の中で一番若い子がその郷に従うべく言葉を覚えてゆくものである。末っ子の妹は15歳で、ほとんど日本人のように流暢な日本語を話す。20歳のお姉ちゃんはシャイで、自信なさげに注文を取りにくる。18歳の息子は、頬のホクロからの毛は何とか10cmほどで落ち着いているが(それは関係ない)、僕以外ほとんど店内にお客がいないと必ず話し掛けてくる。

中華のすぐ隣に交差点近くのラーメン店「麺蔵」が移転してくることは先日日記に書いた。中華のホクロ息子は「アノミセハカウンターダケデス ダカラジンケンヒカカラナイデスネ」と、水曜の夜も僕に話してきた。人件費という言葉を理解しているのは流石に18歳、柔軟性があるということか。

「雲龍くん(息子の名)は、日本のテレビに出ている人で、いいなと思う女の子はいるの?」僕がそう聞くと「……ムズカシイデスネ テレビデテルヒト、ミンナキレイ」と、ここは18歳らしくはにかんでいた。

まぁここまでは常連として交わされる会話だし、大した金額分食べなくても、ほとんど毎日顔を出すお客の特権なのだろう。しかしこの日、多分僕は、確実に「ファミリー」に加えられたと実感した。

他に誰もいない店内で、僕はカウンターに座る。いつもの定食を頼んだら、僕の頼んでいない美味そうなビーフンが山盛りで先に出てきた。僕は何だか嬉しくなって「それは?」と息子に聞くと、「ミセニダシテルビーフントチョトチガウ トクベツニミンチガハイッテル!」と笑う。そうこうしていると、僕の定食が出てきていつもと変わらず大盛りご飯だったけれど、中国人家族の温かみと優しさが身に染みていた。特に色々あった最近に、僕は泣きそうになっていた。



「シツレイシマス……」

息子はそう言うと、カウンターに座りそのビーフンをいきなり頬張った。



「まっ、まかないご飯だったのね……」

なぜか二人でカウンターにいる、親子ほどの男二人。「美味しそうやね」そう言う僕に笑顔を返すだけの若者は、こちらに食わせるつもりのない食い気であった。



※今日のヒトコト
【昨日の4/25は、尾崎豊が0時過ぎに死んだ日であり、4年前の同日は、六本木ヒルズのオープンの日であるそうだ  前者は忘れられない歌を残し、後者は新しいモノの出現に霞んでゆくようである

※志賀氏的伝言板
GWの5/3にバーテンダーズナイトやります!


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