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■ 中毒性日記 2006
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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台風の影響で、少し雨が降った神戸。取れた歯の治療も行けないまま、厚い雲に覆われた空を眺める。世間はジョンベネなニュースの嵐。きな臭い感じ。

まだ休みの続く会社が多いせいか、神戸のマチにはそれほど人は出ていない。中心部に活気があるマチには、観光客以外に地元の人も集う場所が多くあるものだ。近頃の三宮に於いては、神戸の人は「そういう時期」あまり街に出ない。裏を返せばそれは、住み良い街、家周辺環境が整備されているという風にも取れるが、観光を意識しすぎる感のある神戸も寂しい。

人が集う場所だから華やかな方がいい……明るくするべきだ……皆が知ってるブランドを……それらを根幹に置いて商圏を造ろうと画策するのは解らないでもない。これは都会に限らず、町興し的な考え方にも似ていて、著名な建築家やデザイナーに依頼する事例も増えている。

オカシナことを言うようだが、昨今の街造りには「悲哀」がない。

悲哀があって閑散としているから、楽しい場所を造るんじゃないか!と返されそうだが、僕は違うと思っている。アカルク、カッコヨク表現しようとするデザイナーやクリエイター。そこの悲哀を理解しようとしない人間が、もしくはそれらを否定する人間が街造りに携わることこそが怖いのだ。

僕がデザインを依頼される、所謂クライアントに対してヒヤリングし行き着くのは、ほとんどに於いて「相手が好きか嫌いか」までにも到達する、その人間性(会社指針)に賛同できるかである。その人とならば一緒に創りたい、という関係性は「外面のイイ部分」からだけでは生まれない。

過去の歴史に於いて、建造物、陶芸(漆器やボーンチャイナなんかもそう)、画家やフォトグラファーによる作品などには、陰と陽、悲喜交々が見え隠れするモノが、それらに「幅」「奥行き」を持たせた。岡本太郎の太陽の塔、ピカソやムンクの一連作品や、ダヴィンチ・コードにも出てくるキリストを描いたとされる絵の数々は、楽しく、どこかもの悲しい。柳宗理のバタフライスツール(店にあるレプリカではなく、1954年当初の色合い)にもその印象がある。仲良くさせてもらってる、日比野克彦氏の段ボールも、僕にはそう見える。アイロニーではないが、安藤忠雄作品の「使い勝手の悪さ」もそういった部分が感じ取れる。

昔ほどではないにしろ、Windowsより信頼性のないApple社製Macにも、外車のような「匂い」がある。デザイン製に長ける、と称される所以かも知れない。

ネガティブを知らないと、ポジティブデザインは生まれない。

ヒーローの孤高や苦悩にも似て、これからの街創りはそんな悲哀の背景を知り、ともすれば悲哀に関わることから変わるのだと思っている。


※今日のヒトコト
【金曜、お客様が帰ってから寝てしまったら、営業時間が終わってた 外には雨が降っていた  ……悲哀がここにあるだろ


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