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また晴れる。歩くと汗がどんどん出てくる。こうなると雨が欲しい。夕方寄った三宮センタープラザのジュンク堂で、レッズの岡ちゃん特集サッカー本を買いそうになった。昨日の日記は野球選手の話だったが、サッカーにもそんな愛すべき男がいる。彼も、復活と言っていい。
午後、ハーバーランドの松方ホールで試写会に行く。7/15から全国ロードショー「日本沈没」を観にである。このホールは意外な場所にある。クラシックを聴かせる数少ないホールであり、ガラス張りのロビー、デッキに出れば眼下には造船所・ドックが見える。実は去年の10周年、この場所も考えてた。結果、キャバレー月世界は正解だったが、このロケーションはもっと知られるべきだ。
第一部、「さて、ミナサン」と登場したのは、「おしゃれな人生は映画から」と題したトークを披露した浜村淳であった。関西ローカル、キダタローと並び重鎮と称される映画評論家(元々は弁士の流れを汲んだ司会者出)である。思わず筋書きを全部しゃべってしまいそうな勢いもあったが、およそ1時間のトークショー、「間」を持つ、七五調を重視する人の話はなかなか聞けるもんだ。
今から33年前、小松左京原作「日本沈没」が映画化された。僕は9歳。映画館に観に行ったが鮮明には覚えていない。どうにも角川映画の「復活の日」(草刈正雄とオリビア・ハッセー〔後に布施明の嫁〕の地球滅亡モノ)とごっちゃになっている。「日本の皆さん、さようなら」とアナウンサーが言うセリフは、リリー・フランキー氏の本で最近知ったくらいである。
そのリメイクかと思ったら、当然科学も進歩し、映画としての技術もCGやら音響効果やらで違う映画となった。ヒロイン・柴咲コウは阪神大震災を経験という役柄である。深海2000m観測を記録した「わだつみ2000号」も、この映画では最新6500である。こうなると、地震予知やら科学技術やらで、地震を未然に防ぐことができそうなもんだが、現代に至っても自然災害に人類は無力である。
柴咲コウが消防庁のハイパーレスキュー隊だというところが、のっけからズッコケる。まぁ矛盾を突けばこの手の映画には色々ある。それはともかく、様々なシーンであの震災を思い出すのは少々辛かったが、邦画としては、なかなか気合いの入った作品だとは思う。裏話をすれば、大阪京都は沈んでも、神戸のそういったシーンは入っていないのは、被災地への配慮だそうである。
近頃の邦画に佳作・秀作はあっても『大作』が出ないのはどうしてなのか?
この映画もそうだったが、最近の映画は「直接的」「説明的」で、こちらの想像を掻き立てられる暇もなく解りやすい。僕は映像独特の間や、言葉のない風景、ポツリというセリフなんかにその映画を好きになり何度も観るのだが、どうにも近頃「テレビ的」な作品が多い。興行収入は大切だが、二次使用(テレビ放映・ビデオ・DVD・通信オンデマンドなど)への意図が見えると興醒めだ。
昔の映画は、『叙情的』だった。映画だけで勝負していたからだ。今の映画館のようにシートの前後に余裕がなかったし、並びをずらせて前の人の頭が気にならないようにする配慮もなく、カップルシートもなかった。空調の音はするし、非常灯はついたままでも、皆映画館にいることを忘れて食い入るように観入ったのだ。今は娯楽が増えすぎた。そして必然的に『映画人』が減ったようだ。
帰りに、主催新聞社の担当にポスターを戴いた。沈む都市別に作られているもので、出身地「京都沈没」と書かれたものだ。まだフリーハンドのグラフィックだった頃に比べると味はないが、今の時代ならではの、電光サイン用裏刷り反転ポスターである。(後ろから照明をあてた際、裏刷りがないと発光しないゆえ)
自宅の仕事場にでも貼ろうかと思ったが、あまりに店のトイレにジャストサイズだったので天井に貼ることにした。反転のデカいポスターが色々と想像を掻き立てられそうで、その様に暫し見入っていた。
こうして見ると、今のポスターもなかなか叙情的に見える。
映画にも、そういった感情のヒネリが欲しい。
※今日のヒトコト
【 タージンは、浜村淳の後を狙っとるな 】
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