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■ 中毒性日記 2005
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
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土曜の店に誰もいなくなって外の空気を吸いに出ると、向かいの玉撞き屋の男の子が交代で帰るところに会う。まだ23歳の彼の自転車は、電動アシスト付きである。「結構便利ですよ」と言う彼に、「若者は腰浮かして、立ち漕ぎせい!!」と言った。アシストなんて年寄りになってから否が応でも使う言葉である。それは時に「お膳立て」というネゴシエーションにも言葉を換える。スポーツ以外、若者にアシストなどまだ早い。「自分の力」で行きやがれ!

昨日の「なぜ月世界なのか」の結論は、掘り下げてなかった。
あそこに決めたのは、おそらく僕の子供の頃の想いからだ。

京津線という電車があった。京阪三条と大津を結ぶ二両連結で、大津の国道、山科御陵から九条山、蹴上から三条までの間は路面を走る電車だった。僕が京都山科に住んだのは小学校4年からだから、もう30年くらい前から街に出るのには随分利用した。山科からおおよそ20分で京阪三条に着くのだが、三条に差し掛かると必ず一旦停止する地点がある。路面車道を横切り、駅に入るためだ。

その停止場所右手にはいつもキャバレーがあった。その名も「ベラミ」という。その昔、組長発砲事件で有名になった場所だ。車両からちょうど同じ目線に見えるそこにはモノクロのパネルがいつもあり、時のスターと言われるヴォーカリストや出演バンドの華やかな姿があった。子供心に、それは僕等の踏み入る場所ではなく、いつかそこに行きたいなどと感じさせるモノとは異質の、寄せ付けない匂いがあった。僕は10歳を過ぎた頃から社会人になるまで、其処を通る度にそのように感じながら、ただ眺めるだけだった。

文壇バーや街外れの旅館に籠もり執筆活動した作家の卵の話にも似て、そこから巣立って行ったミュージシャンも多数いるのだろう。そしてもちろん、そこは歴史と伝統の老舗でもある。神戸・月世界の社長によれば、越路吹雪が「ベラミ」だけには出演をOKしたらしい。悲しきかな、今は駐車場と飲食店になっているその場所には、昔の面影はない。

まだまだ若造の僕だが、少しばかりそんな場所に足を踏み入れることのできる年齢になった。 何十年かの時を経て8月7日、あの場所に立つことができる。


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