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■ 中毒性日記 2005
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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日曜日夕方、自宅近くの塩屋で女性フォトグラファーとの打ち合わせ。相手の指定は手っ取り早く2号線沿いのジョリパでいかがでしょう、とのこと。ここには一度だけ来た記憶がある。神戸の強みか、海を眺めながらのロケーション、ファミレスメニューでも閉塞的な高級店よりも会話が弾む。5月に、店でイベントをすることとなった。新しい試み、楽しみである。

夜、 金村先輩のブログ を読んで、氏と同期のM田氏のことに笑った(10日のブログを見てから読むと一層危なさが増す)。体育大ラグビーに入部してすぐの18歳に、あの二人を見て、ラグビーが合法的な喧嘩だということを認識した。そして双方別々に声を掛けられた。「どっちに入るねん」彼らはそれぞれの組を金村興業、盛田(出してもええでしょ)一家と名乗った。彼らと同じFWというスクラムを組むポジションとは別に、大阪体育大学総会直系組織として、僕ら一年は鉄砲玉として一年を生きる場所の選択を迫られたのだった。結局僕は曖昧な返事で、どちらの組の度胸試しにも顔を出す、度胸のない男だった。

ハッキリ言う。あの二人は、ゴジラとゴリラだった。どちらにしても檻に入る覚悟がいった。その外に出られるのはレギュラーになることしかなかったが、如何せん僕はラグビーが苦手だったから、組織の末端若い衆として動き回った。4年生の「1年、センスのあるパン買ってこい!」に対し、惣菜パンより大抵は菓子パンが有効だという情報も仕入れて、なんとか上層部に気に入られもした。

ある時、1年上の盛田氏からヒットマンの要請があった。それは「臭い飯を食ってこい」ということである。その依頼とは、彼のドイツ語授業を一年間全て代返することであった。それが組なら『名を上げるチャンス』だったのだろう。その頃の僕はただ、『手を上げる選手』だった。

あれから20数年が経った。京都の僕、大阪の金村先輩が、ここ神戸で店に立つとは思っても見なかったことだ。10日の日曜朝方、Kちゃんからメールが入った。タイトルは「金村…志賀…ラグビーの軌跡……」とあって、画像が添付されていた。それはすぐにラグビーのメンバー表だと解った。

そこには、5番ロックに盛田氏、6番フランカーに金村氏、そしてNo.8に僕の名前があった(12番に同期のラグビージャーナリスト村上の名もあった)。ラグビー専門誌に掲載されていたのだろう。僕にはすっかり忘れ去られていた記憶なのに、共通の知り合いKちゃんが先輩の店に行ったときに「俺のちょっと下、見てみ」と言われて見せられて笑ってたものだったらしい。

僕は恥ずかしながらその画像を見て思わず涙が出そうになった。卑下や謙遜ではなく僕には、ラグビーに関して栄光もないし、記録に残る試合にもほとんど出ていない。それが輝く舞台を踏む選手へのジェラシーと羨望になり、そして社会に出て、全くラグビーに関係しないホテル業界やデザインの世界に入ることになる。身体も現役時代のナリは潜め、いつしかラグビーそのものを観ることも応援することも忘れるようになっていた。

そして神戸に店を出す。知らぬ間に、神戸のラグビー選手が顔を見せるようになり、大学の先輩も近くにいた。徐々にまた近くなったラグビー。外から冷静に観ながら、今のラグビー業界そのものをいい意味で変えたいと思うようになった。

改めて、大阪体育大学直系組織、金村興業、盛田一家で良かったと思っている。


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