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■ 中毒性日記 2005
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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※志賀速報!
本日・神戸新聞朝刊の「震災と企業(?)」……紙面広告のどこかに、僕のタイトル筆文字と写真、文章が載ってます】

寒い雨が降った日曜である。もうこの日記でも4回目のその日を迎える。

震災の日を前に、日曜のテレビでも色んな映像が流れている。15日の僕が出ていた「神戸100人の証言」震災特番も、僕は観なかった。ビデオに録ってはみたけれど、どうにもあのリアルに目に焼き付いた状況が思い出されてしまうのだ。

深夜偶然に合わせたチャンネルで、その100人の証言を編集した番組がやっていた。聞いたところ僕は50数番目で、ちょうど50番の辰吉丈一郎が映ってた。そして僕の番がすぐにやってくる。僕はやっと正視できた。短いモノであったが、僕があの日から毎日、明るくなる朝まで書いた日記の話だった。僕が懸念していた、饒舌に語る「余計な姿」はなかった。ひとまず安心した。

取材では最後に、これからの教訓や子供達に向けて何かメッセージをと言われたので、カメラに向かって話したことがあったが、それは放送されなかった。

二年前に書いた話(>>>02/01/18日記参照)のことだ。

神戸の小学生がこの時期毎年唄っている歌がある。僕で言うならば、中学の修学旅行で覚えた広島の「許すまじ原爆を」という歌も、今となってはその意味も二度と起こしてはならない史実も伝えられる。だから、神戸のおそらく10年前には赤ん坊かまだ生まれていない小学生達に、ずっと忘れないでいて欲しい、そしてその意味をいつか噛みしめて伝えて欲しい……と、僕は話した。

毎年、あの時間まで起きている。バルコニーに出てあの日を想うのだ。ベッドに入り、目をつぶるのが怖かったのもある。そして今日またあの時間僕はバルコニーに立った。あの日真っ暗で見えなかった、塩屋の街灯りを見下ろしながら黙祷した。 震災は忘れない。だが生きる、生き切ることを確信した。


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