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■ 中毒性日記 2004
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
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今日はホントに長い日記です。
お暇なら僕と一緒に泣いてください、と思う加納町 志賀でございます。

店には、アパレル、ラグビー、編集者、ホテルなどの本当の意味での異業種交流会となる人々が偶然に集まっていた。僕は基本的に「いきなり名刺を渡したりしない」それは相手を知る時間を飛び越してしまう、希薄なモノに感じてしまうからである。自ら自分の業界のことしか語らない人は、そこに「ビジネス」ライクな関係を求めているのだろう。話が終わってさぁ帰ろうとする頃になってやっと、名刺交換をする。そんな会、そんなメンツで良かったと思う。

みんなが帰ったあと、素敵な余韻に浸りながら携帯からPCメールをチェックしていた。30数件届いているが、ほとんどがメールマガジンだとか、営業メールである。中には「あなたに合う異性がいるはずです」という結婚出逢い戦隊「マリアンダー」みたいなものまである。なんで僕が独身だと知っておるのだ。ホント、パーソナリティをインターネットで記入するって怖いと思う。

そして英語タイトルのメールもウイルスが怖い。だから携帯からチェックするのは有効である。そんな中、一通のメールに目がいった。携帯からのチェックでも、それぞれのアドレスとタイトルは見られる。『“cozy chatani……”「お久しぶりです」』僕は「あのチャタニ?」って思い出していた。

『たまたまネットであなたのサイトを発見し、もしやあの志賀さんではと思いサイトを拝見させていただきました所、間違いないと思いついつい懐かしくメールさせて頂きました お元気そうで色々と御活躍されているようですね、サイトの日記拝見させて頂きました 私の想い出にある20数年前の志賀さんがそのままあり懐かしさに浸ると共に感動しております

私は今、東京でインターネット関連の企業に勤めております この業界に入り10年以上経ちますが、今日、20数年前の親友に再会させてくれたインターネットに、御飯を食べさせて頂いている以外に初めて感謝しております』

彼は僕が京都伏見桃山から山科に引っ越しした頃、小学校4年の同級生だった。僕は当時転校生特有のイジメみたいなモノに遭っていて、当時それを救ってくれたのが彼だった。僕はその頃、自分の意思も好きな物も、目立つ同級生に合わせていた気がするし、身体は大きかったけれど主張しないトコロが、虐められやすい性格に見えたんだと今思う。そんなときに彼と出会った。

どこかで書いたが、僕がラグビーを始めたのは母親の兄、つまり伯父さんが当時強かった京都大学のラグビー選手だったことが切っ掛けではあった。ただそれは漠然と、京大の農学部のグランドでまだ2歳になる前に、身体くらいの大きさの皮のラグビーボールを持たされて、同志社大学出身の父と共に「ラグビーをやらされていた」に過ぎなかった。山科に転校し、小学校5年になって僕の実家のあるマンションの隣の棟に住む同級生、彼と知り合って、ホントにラグビーをやりたいと思うようになった。彼のお兄さんが高校、のちに大学でラグビーをやる大きなフォワードだった。カッコ良かった。

子供の頃ってのは、圧倒的な大きさやスピードに憧憬や羨望を持つもので、当時テレビでも色々やってたから(「われら青春」昔の中村雅俊ね)そこから彼と一緒にラグビースクールに入ることになる。必然的に彼と行動を共にする頃から、周りからは「強い男の子」に見られ、虐めはもうなくなっていた。多分僕よりも彼は太っていて、小学生でもかなり大きかったからだとも思う。

中学に行っても彼の体格の良さは、所謂「不良」と呼ばれる同じ中学どころか京都の番長連中から、恐れられていた。解りやすいのは、実際彼は喧嘩が強かった。なのに彼は勝った喧嘩の度に、誰もいない校舎の裏で泣いている姿を僕は知っていた。彼はいつも優しかったのだ。徒党は組まず、一匹狼を通していた彼がカッコ良くて、僕は彼と同じ高校に進み当然の如くラグビー部に所属した。僕等は一年からレギュラーになって、中心選手にもなれた。

ある日、彼が僕の住む棟、3階の家を訪ねてきた。今でもハッキリと覚えている。目の前のタコの滑り台が見える公園を眺めながら話したことを。彼は突然「引っ越しすんねん」と言ってきた。訳が解らなくなって僕は泣いた。僕から、僕をいつも守ってくれたヤツが消えてしまうのは、とてつもなく寂しくて泣いた。高校二年を待たずに、彼の家族はその場所からいなくなった……。

もう40歳になるというのに、僕はこの日記を書きながら泣いている。20数年、会いたくてもどこに行ったのか、どうしているのかも解らずにでもずっと忘れなかった彼から、サイトを立ち上げたお陰でこの日メールが来たのだ。
彼がいつか神戸に来てくれたのなら、僕は必ず伝えたい。

「ありがとう、君がいたから頑張れた」


※サイト内裁判・その1「エルメスソースの行方」(>>>3/24日記参照
4/17「エルメスソースナイト」にて、公開裁判・陳述を行う
その日に、証拠物件提出、及び試食会(出来るのか!!)をやる予定 ただの飲み会という噂もあるが、ソースに合いそうな食べ物持って、オシャレして(死語)小粋に(死語)お越しください 詳しい情報は>>>コチラ

加納町 志賀とはどんなヤツ?
>>>プロフィールとバイオグラフィー(一部)はこちら……

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