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■ 中毒性日記 2004
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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東京の朝は寒く、雨が降っていた。夜には雪が降るという。

また六本木のホテルでランチ。ヒルズに会社のあるテレビ局社員と、数日東京で仕事してる大阪の女性と3人で過ごす。外資系の会社があるのだろう。欧米人がこのランチタイムに多い。いかにも欧米の余裕・大らかさか、ランチミーティングという感じである。日本人はイケナイね。12時〜13時の限られた時間で、ゆっくりと食事をする習慣がない。僕は2時間半いたけどね。

帰りはまた羽田から。
搭乗まで時間があったので、喫茶店で日曜を思い出していた。

負けた試合、観客席で着ていたジャージを畳んでた。「あのぉ〜、志賀さんですか?」と女性が声を掛けてきた。「サイトを見ている者です」と女性は神戸製鋼のフラッグを15cm大に折り、差し出してきた。「おいおい、俺はサイン書いたことないぞ」正確には高校の頃、女子校の子に書いたことはあったが、大人になってからはそんな機会などない。少し緊張した。握手を求められたわけでもないのに、手の汗を気にしていた。「コレ、苑田さんに渡してください」試合に出ていなかったキャプテンへのメッセージを書いた旗だった。(渡しますね)

まぁ考えてみれば僕がサインをするなどあるわけがない。「写真いいですか?」とまんざらでもないなと気を良くし、シャッターを押してくれと言われたようなもんである。しかしそうやって数人の方から挨拶をされたり、見たけど声を掛けられなかった旨をメールでいただいたりした。サイトは不思議なものである。よく僕って判ったなぁ、という人もいた。嬉しいことやけどね。(ハーフタイムに競技場のスクリーンに、僕等が映ってたからかも知れない びっくらこいた)

話は空港に戻す。どこかに書いたが、僕はジェットコースターが苦手である。USJに行ったときにも、バック・トゥ・ザ・フューチャーは勿論、ETでさえも降りてゆくときに少し「ヒヤッ(内蔵がフワッとするやつね)」とした。そこで働く店のお客様がいるが「新しいアトラクション、スパイダーマンやったら志賀さん死ぬわ」と言われた。で、である。東京の帰りの空は最悪だった。

「パイロットの指示により、これより客室乗務員もシートベルトに固定されます 皆様でシートベルトの確認と、シートを倒されている方はお戻しください」

こんなことを言われた日にゃアナタ、たまりまセブンである。そもそも搭乗時にあるアナウンスの「救命胴衣の場所と装着の仕方」案内自体、僕には苦痛なのである。無論必要なモノだ。しかしその後のエアーシューター?(滑り台)の「順序よく、手荷物は持たずに」滑って行く映像や、「非常口の近くにお座りのお客様は援助をよろしくお願いいたします」と説明があり「オイオイ、俺非常口近くやがな 俺がみんなを誘導するのか!」などといらぬ(正確にはイラナイわけではないが)心配をさせられて、ヒヤドキもんである。

なのに、最後の言葉の締めはいつも、

「快適な空の旅をお過ごし下さい」なのである。

僕はもう充分不快なのだ。そして輪をかけて、乱気流・悪天候の離発着だった。まるでナチュラル・フリーフォールである。コーヒーカップ大回転である。そんなとき子供は笑ってたりするから、天使も悪魔に見えたりする。目をつぶろうが音楽を聴こうが、揺れは揺れ、カモメはカモメである。

そう、僕は伊丹までずっと「酔いどれ揺れカモメ」だった。


※ヨソジー志賀(四十路・6月で)の「たまに吐くならこんな店・番外編
【同じ日に東京と神戸で、在来線電車に乗ったのは初めてだと思う(家まで車を取りに行ったから) 寝不足もあって目をつぶるが、東京は静かな印象で、神戸に帰った途端にうるさく感じた まぁそれが安心でもあるんやけどね】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
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