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■ 中毒性日記 2004
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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月曜日、彼女同然の車を工場に入庫し暫しの別れを告げる。またべっぴんにも磨きが掛かり、綺麗になって帰ってくるのだろう。夕方、フェリシモの季刊誌4月号に載る座談会に出た。50万部も全国に送られるらしい。見る機会があれば、男前度をチェックしといてくださいな。その場でまた、しゃべりまくりました。

先日神戸コレクションについての新聞広告(しつこいが、神戸MARUI 2004 Spring Collection パンフにもあるよ >>>掲載原文はこちらの文末で)でも書いたことを例に挙げて「神戸は内なるパワーを発信しないと」なんて話してた。「内なるパワー」それはどういうことなのか。

あそこでも書いた「キムタク」「パリコレ」がそうであるように、略されて公用語となった時をメジャーと言うのだと思う。もうすぐ始まる「甲子園」なんてその最たるものだ。全国高等学校選抜野球選手権やったかな?でもそんなまどろっこしい言い方はせずに「甲子園」もしくは「選抜」で会話が成立する。だからそこでは「コウコレ」か「シンコレ」か分からんが、「神コレ」と言われるようになったら本物だ、なんて書いた。でも、それはまだ先の話だと思った。

公用語となったものにはコアがある。略されても、俗されず毒されないパワーがあるものでなければならない。そのコアは個性でありオリジナリティだ。芯に力があるから、一人歩きした略語・通称に潰されない。そしてそれらは、「やってたら後から着いてくるもの」なんて最初に考えていてはイケナイものだ。

震災のあった神戸は2005年で10年になる。しかし周りが思っているほど今は悲壮ではないし、「復興」も「がんばろう」も違うカタチになった。 外から見る神戸と、中にいる僕たちが見るココが違うように、知らない周りから見れば僕の店はバーというカテゴリーで、種類・「酒」類を売っていると思われている。それは違う。僕は「人」類を売っている。ここから自分を発信してる。

それが内なる僕のパワーだが、如何せん、志賀は略しようがない。


※ヨソジー志賀(四十路・6月で)の「たまに吐くならこんな店・番外編
>>>3/6のNOVAうさぎ画像upに気付いていない皆様に、心和む一枚を再び】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
>>>プロフィールとバイオグラフィー(一部)はこちら……

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