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■ 中毒性日記 2004
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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※ココだけの志賀速報!【15日、花園ラグビー場で会いましょう

大学の同期、日曜の花園での解説で東京から来ているラグビー・ジャーナリスト村上がJ-Sport局の人と店に来た。なんかバタバタしたけど、遅い時間まで残ってくれたお陰で色々話せた。帰り際「志賀の店に来るために、神戸に宿をとった」と言いながら帰ってゆく姿に、大阪で仕事なのに…と嬉しく思った。彼との20年来の特別な想いの中、所謂「同じ釜の飯」仲間を見送った。


いつか書いたかも知れないが、バドミントンと卓球はやれば面白いのに、あまり観に行く人がいなくてメジャーになれないのには理由がある。一つに、展開が早すぎてやってる本人にしか解りにくい。そして観客が「監督の気分になれない」というのが僕の持論だ。しかしラグビーのことを考えてたら、単純な理由を思い付いた。フィールドが小さすぎるのだ。

バレーボールほどに人数がいたり、テニスのように屋外の「コート」が存在するものは、まだ観客が入る。観ている側にも余裕がある。どこか無機質で「自然」を感じないスポーツはメジャーになりきれないのでは、と勝手に思ってる。

そんな観点から言えば、ラグビーはもっと観られてもいいはずなんだけども、それは今まで散々書いたように「そのスポーツの特質と体制」に問題があると思う。僕の記憶によるとフィールドコートの横幅は50m以上、縦100m以上は必要で、それに伴い観客席が作られるから必然的に席数は確保できる。仮に、卓球世界一を決める試合に1万人入ったとして、予選は幾つかの台があるけれど決勝に到ってはかなり観にくくなるという、コンサートのようには行かないものとなるのだろう。つまりラグビーは可能性を秘めているはずなのだ。

観客が多いほど、その目的は様々に広がる。カッコイイ選手に黄色い歓声を上げる人、いぶし銀のプレーに唸る人、戦略を評価する人、デートのコースに来た人、チケットをもらったからなんとなく行った人など、スタジアムには色んな人がいる。ちなみに僕は感動を得るためにラグビーを観に行ったり、応援するのではない。神戸製鋼のサイトに書き込んで戦略がどうだとか、誰を使え、誰がダメなんてこともどうでもいい。僕は、ただ「悔しさ」を味わいたいだけなのだ。

それは「負けて悔しい」ということを言っているのではない。勿論勝った方が気持ちがいい。負けて彼らに会うよりは、勝って笑顔で飲む方がイイに決まってる。ただ僕は可笑しいのかも知れないが、葬式で悲しむ家族に微笑みながら接することも必要なんじゃないかなとも思ってる。だから負けた彼らに暗い顔で会ったことはなく、「お前のプレーはあぁだこうだ」と言ったこともない。

結局僕は勝ちを観に行きたいわけだけど、その中でソコにいる奴等が輝いていて、賛辞と歓声を浴びながらグランドを走り回る姿を見ながら「悔しく」感じていたいのだ。「ケーッ、カッコイイなぁ でも俺のフィールドで俺は輝くよ」って確認したいんだと思う。でも偏った見方はしたくない。

応援するファン心理を知りたい意味もあって、日曜日はバスで行く。神戸製鋼応援ツアーバスだ。応援の仕方はマチマチの中で、その感覚を持つ人々の中から声援を送ってみたい。彼らを観続ける、また新しい出会いを求めながら……。


※ダジャレー男爵の「志賀オシャレ『死語』
【応援バスははっきり言って今からもうドキドキである マニアに「サイトに載ってる志賀さんですよね」なんて話しかけられて、ラグビー談義ディベートされても困る 一人で参加するってのが一番の不安だが、『ぞっこん』なファンの中で、『ニヒル』にいようと思う でも反面、しゃべりすぎるような気もしてる 『ニヒルなアヒル』みたいにガァガァと……】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
>>>プロフィールとバイオグラフィー(一部)はこちら……

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