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※ココだけの志賀速報!【2月、店に来た人には素敵な……僕のトークを】
日曜日、昼に大阪へ。デザイナーズカフェを視察して、そのまま京都に行ってきた。第一回「京都きものコレクション」を観るためだ。
ご招待を受けたその会場・国立京都国際会館ってのは京都市内の北、地下鉄の終点である。宝ヶ池があって岩倉があって、僕の大学の頃はデートスポットだった。確か、池には白鳥の船(ペダル漕ぐヤツ)やボートが浮いていたはずだ。京都駅からずっと地下だったから、生まれ故郷に帰ってきた感じはしない。時間もギリギリで風景を楽しむ余裕さえなかった。
いきなりファッションショーの様相で、派手なウォーキングやパフォーマンスはないが、音も洋楽だったり、ライティングもヴィジュアルの作り込みも完成された演出だったように思う。後で聞けば音楽は、それぞれ出展作家(デザイナーとは流石に言わず)の選曲だという。ともすればバラバラになりがちのモノが、上手く合致していたようである。
タイトル「京都きものコレクション」ってのは、例えば「東京……」というのがあるのかは知らないが、色々考えてこうなったんだと思う。「京都着物コレクション」はカタイ。「京都着物お見立て会」なら、若者は来ないし遠い気がする。「京都着物・履き物・なまけモノ」なら語呂はイイが意図がさっぱり見えない。ともかく、漢字・ひらがな・カタカナは熟考してのことだと思う。
綺麗で背の高いモデル達の「しゃなり、しゃなり」と歩く姿を観ながら僕は、1/26日記文末>>>ハラタチ日記その56に書いたような、ラグビーオールドファンを思いだしていた。大相撲・角界にも似た「伝統と格式」、「分からないヤツらに解ってもらう必要はない」という一部の人の『私だけが知っている優越感』めいたモノを主張し、高すぎて届かないと思われがちな独特の世界観を醸し出す。少なくとも僕は、本来近い存在の「着物」であるはずが、特別な日にだけ着られるモノ、時代の流れと共に昨今の生活様式・体型によって過去の遺物となっている、という認識しかなかった。観るまでは、である。
おそらく今日のショーを観て「これは伝統の着物ではない!」と激昂する人もいるのだろう。山口百恵の「秋桜」やTHE BOOMの「舟唄」に乗せたしっとり感は良かったが、「ビートルズと着物のショーを一緒にするな!」というオジサマもいるはずだ。しかし、こんな京都の端っこでの盛況ぶり、プロデューサーによる一方的な選曲ではない構成、いかにも無表情なものだけでない時折見せるモデルの笑顔など、「着物」を近く感じさせることに成功した例だと思う。
着物を知らない世代への刷り込み方は、非常に難しい。それがクラシック音楽や大相撲・ラグビーにも共通する今後の課題なのだろう。
ただ、少なくとも僕が刷り込まれたのは確かだ。
今は単純にも、着物の似合う女性がええなと思ってる。
※イカリン志賀の「本日のハラタチ日記その63」
【着物というと、帯をクルクルほどいて「よいではないか」「アレェ〜」の世界を最初に思い出す、こんなボキにハラタチである】
※加納町 志賀とはどんなヤツ?
【>>>プロフィールとバイオグラフィー(一部)はこちら……】
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