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■ 中毒性日記 2004
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
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まぁハラタチほどでもないんやけど、文末通りあきません。
でもそんな中、お客様との話で再確認した。

マスターと呼ばれるのが嫌な理由。ホテル出身だということもある。街のバーならマスターだが、どちらかというとホテルはバーマンだ。それと三宮にはマスターがゴマンといることもある。でも、ホントのところは「お客様と同じ土俵に立ちたい」ゆえのことである。

プロ野球の監督が、野球とは無関係な知人と店に来たとする。皆は一様に「カントク!」と呼びながら話を進める事が多い。お偉い社長さんと来た、その取引先の人は「社長!!」と言いながらおかわりを勧める。医師と製薬会社との会話は、一方的に「先生!」で、MRは会社名で呼ばれることがほとんどだ。

店、特にカウンターで毎夜繰り広げられる会話の中でそれらに共通することと言えば、「カントク!」「社長!!」「先生!」の度に「どこにカントク・先生がいるの?」と、他のお客様の会話が止まってしまうことである。

確かに「マスター」は初めて行ったお好み焼き屋の人にいきなり「おばちゃん」と呼ぶくらいに、使い勝手のいい言葉かも知れない。でも、人にはそれぞれ呼び名があって、それが立派なアイデンティティでありパーソナルで、生涯一番その人が書いたことのある文字なのである。「先生」で覚えてしまい、いつまで経ってもその人の本名を覚えないのは、ただの手抜きだ。

水曜日に来ていた4年ぶりの医師の『姓』も『名』も、8年ぶりに来た方の前職も、最初誰と来たかも覚えてた。実は僕はあまり記憶力がない。嫌いな人は早く忘れたい。でも好きな人ならずっと忘れない。単純な理屈だ。

覚えてないのに顔で笑って、その人が帰るまで思い出せず、そんな日々を過ごす。もしそうなら、僕はマスターと呼ばれても何も言えなくなってしまう。

そんなときは、「可哀想な四十路」とでも言ってくれて結構だ。


※イカリン志賀の「本日のハラタチ日記その60
【今日は、車の具合も玉撞きの調子も店の勢いも……あきまへん】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
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