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■ 中毒性日記 2004
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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※ココだけの志賀速報!【トイレにキャメロンからのメッセージが貼ってある

水曜日、雪の降った神戸である。夕方少し早めに店に着くと、「松本です、電話下さい!」という一方的なメッセージが留守電に入ってる。年に数回あるが、僕は松本さんというオバサンに知り合いはいない。以前書いた、自宅のファクシミリに「こしひかり5kgお願いします」という言葉のみ書かれた、発信元も入っていなかったあの日を思い出した。どないすんねん。途方に暮れた。


多分、そう思うのだ。

僕は39年と7ヶ月余生きてきて「これいいよ」と勧められて渡された本や映画・ビデオに、ことごとく裏切られてきた。人の感性などその精神状況やシチュエーションで右に行ったり左に行ったり、時には宙返りしながら身体をくねらせてムーンサルトの如く、「これええんかな?いやあかんかな?読んどいた方がええんちゃう?最後だけ読もか?えーい!グルグルグル〜」なんて、ほとんど甘いものを食べない僕に送られてきた和菓子の詰め合わせのように、気の利いた言葉の一つを捻り出すことに四苦八苦しながら、頭からマットに崩れ落ちたものだ。

人には「見る目」があって、それは社員やバイト採用の目であったり、試合に使う選手を選ぶ目であったり、ウフフでオホホなヒトトキを実現できそうな異性を見る目であったりする。「見る目ないんちゃうのぉ〜ん」と人が僕を表して言う目は、伴侶を射止める目なのであろう。残念ながらそんな目は、五木ひろしの物真似をするときか、モザイクの奥を見据えるときにしか持ち合わせていない。

で、思うのだ。真っ当に、でもギリギリのところで仕事をしている編集者の、僕に勧める本はどれもが「当たってる」のである。それは明らかに「これ良かってん、いっぺん観てみて〜」と渡される「あなたを想って編みましたマフラー」的に一方的なモノではなく、結構色々観てる(読んでる)けど、志賀ちゃんならコレ、ハマるに違いないという、「似合わないけど欲しいと言う上顧客」に頭の中で首を捻りながら結局入口まで見送ってしまう、ブチック(死語)のハウスマヌカン(スーパー死語)には到底理解しがたい適性なんだと思う。

11日書いたリリー・フランキーもそうだし、景山民夫もそうだった。そこにはまるで「マスターのお勧めを」と言われた段階で「マスターは三宮に一杯います 志賀でイイですよ」と口を挟むどこぞのマスター(って言うな!)が酒を勧めるまでの、まどろっこしさなど微塵もない。

人に促すことは非常に難しい。「信号は青で渡りましょう」と言ったところで事故する子供がいる中で、学校近くの横断歩道に旗を持って立っていた、どこの誰とも知らない月光仮面のようなおばさんの必要性が今になって解る。こちらが旨いと思って出した酒が、そちらにとって旨くなるとは限らずに、ただ美味いのか、上手いけど巧くないのかなんて、にっちもさっちも(サッチモ=ルイ・アームストロング)どうにもブルドッグ(死語)なわけだ。ガゥッ。

誘い促すことということは、北野坂に彷徨く茶髪の呼び込みニーチャンには解るはずもなく、彼らはなぜそこに立っているのかの前に「今日は何を食べるか 願わくばカワイコちゃん(死語)を食べちゃうか」なんてことしか、時間の過ごし方を知らない人間が往々にして多い。疑うべくは、彼らを採用した「目」だ。

だから多分、そう思うのだ。僕に突然思い付いて本を渡す、砂糖入れてミルク入れてややこしく掻き回さない、ストレートな「目」を持った青山ちゃんは、

とても青山な……ブルーマウンテンな人に違いない。


※イカリン志賀の「本日のハラタチ日記その45
【リリー氏の文体とイタイトコを突かれる懐かしい言葉達に、同世代ながら尊敬してしまう 山崎努が木彫家具のような表情だとか、成田三樹夫が日本のポール・ウェラーだなんて「いてぇな、コンチクショー」と裕次郎なセリフで、そのいいパンチの数々を褒めちぎるしかなかった】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
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