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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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12/05「暗闇の照らし方」 バックナンバー >>>
店にやって来てオープン前に壁の収納でゴソゴソしていると、ブレーカーに触れたようで店の中は全て真っ暗になった。>>>爺ちゃんの魔法のランプでスイッチを探そうにも、あのランプはずっと音楽が鳴っていてオマケにペンギンの絵も映し出されるから、暗闇に「あぁ〜なんてロマンティック&ノスタルジーなんでしょ〜」とやってる場合ではない。暗いよー、怖いよー。

どうもSteelers・増保の忘れていった傘が、そのスイッチを押したんだな。早よ取りに来いっちゅうねん!と怒りながらもタバコを吸わない僕にはライターも無く、まず灯りを、と手にしたのは、いやいやこういうときに役に立つよね携帯である。「たっ、助けて〜」と誰かに電話を掛けたのではない。画面が明るくなれば、その辺りは照らされる。しかしアカンわ、光りが弱すぎる。僕はそのまま、足下を携帯片手にフラフラと、玄関口まで何とか辿り着いた。向かいのビリヤード屋で懐中電灯を借りた。店にも一個、置いとかなね、ライト。

しかしまぁ、こんなこと書きながらもイレギュラーには強い。今でも「コイツあほやな」と自分ながらに思うのは、1995年震災の日。二人暮らしに憧れながらも一人暮らしの僕は(いらん説明やな)、その朝和室に寝てた。>>>(02/1/17日記参照)で、震災。よく言う「戦争が始まった・爆弾が落ちた」感じは確かにした。街灯がない真っ暗の外に呆然としながら電気もつかない中で、ぼくがやったこと。この状況を書き残さないと!とその日から、数時間ごとの日記を一週間分認めた。後でその当時のワードプロセッサーに打ち直した。(それをまとめたことが切っ掛けで、朝日新聞に載った 今でもそれらは保管している)

と、そこまでは誰でもやる……やらんかな。でもそこから僕は、この状況を残さないと!と思った。いや、しかし物見遊山で写真を取りに来た県外の人とは違う。カメラに自分の状況を自ら残そうとしたのだ。

キッチンはメチャクチャだった。冷蔵庫の中身は全て飛びだし、食器は全滅、ワインやビールの割れた匂いがするその中で僕は、セルフタイマーでその悲惨な姿のキッチンと一緒に写った。なぜか、にこやかに写ってた。

あの経験があったから、僕は神戸を好きになり、神戸で足跡を残すことを選んだわけで、後ろに向きそうな心を前に押し出した。今でも思い出すと、ハートはドキドキするし、知人を助けに行った長田の煙の匂いも覚えてる。多分その後神戸を逃げ出して、京都に戻り密やかにバーを営む店主になったのならば、こんな人生など味わえなかったはずだ。神戸に居続けると忘れないし、大それた事に神戸をもっと何とかしようと思えるまでになっている。

今、僕は神戸にいる。暗くなっても、その灯し方を知るようになった。


※イカリン志賀の「本日のハラタチ日記その5
【ブレーカーが落ちたお陰で、店の電話の子機が通話状態になってた 114分間、21時半までずっと話し中だった 忙しい店というワケではないからね】

※ラブリー志賀の「干しぶどう日記・56日目」>>>キッカケはコチラ!
【性懲りもなくブドウ日記は続く……「もう少し酸っぱい方がイイかも」(小川氏 48歳 建築事務所代表) 「レーズンブレッドに入ってるやつみたい 甘みがあってもイイ」(マサキさん 31歳 建築家) 男女で印象が違うのだね 僕もまた食べた 食べ過ぎ……『残りあと26レーズンズンどこ節』】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
>>>プロフィールとバイオグラフィー(一部)はこちら……

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