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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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「へぇー、バッファローズって有馬で納会やってるんやぁ」

もう何年ぶりかに来た投手達に声を掛けると「ホームページ見てますよ」と返される。離れていても見てくれている人がいる。デジタルで心が通わないように思えるサイトの良さは、こんなところにある。
どこかで誰かが、存在を認めてくれている。

店に一人でやって来た37歳の料理人は、その風貌からは僕より年下だとは到底思えない。彼を最初に連れてきたのは、8日僕が東京に行ってるときに店に立った「ダルマ」顔の代理店マンとだった。その頃その料理人は、三宮の店を任されていた。それから友人と来たりして、この日初めて一人でやって来たのだった。

「一人で店に来る」という局面には、それ相当の意味がある。誰にも愚痴を言えない立場の社長が、一人の人間として来たこともある。いつか、恋に破れた女性も、男性も来た。営業が終わってこのまま帰るのは虚しいなんて言って、最後の締めに飲みに来る酒造メーカーや製薬会社の男もいる。 そして今日、この料理人は「街を出る」報告に来た。彼はこんな話をし始めた。

「刺身とお造りの違いって、知ってますか?」

魚を切って適当にあしらい(飾り付け)を施し、盛り付けることはどの料理人でもやる。しかしその出来映え如何でそれが、「刺身」になったり「お造り」になる。彼によると、お造りとはその切り口であり、器に映えるものであり、鑑賞にも堪えうるもの。しかし売上げ至上主義のその店では「刺身」を出していた。ゆっくり過ごしてもらうこと、お客様との会話を重んじることよりも回転率を上げるために、造り上げることはさせてもらえなかったのだ。

居酒屋で使われる食器やグラスには、高価な物は使わない。忙しい洗い場は戦争になるし、必然的に放り込まれる食器は分厚くデリケートには作られていない。こびり付いて取れない汚れには、そのまま洗わずに捨ててしまう店もある。ゆえに仕事も雑になりがちで、ひいては「人」も雑になる。そこにも「関係を造り上げること」をしない場所が存在する。

いい器は素材を引き立たせるし、あしらいもいらない。しかしそれだけに手を抜けず、腕も試されてくる。彼はそんな所に行きたくなった。必要とされているフィールドに、自分の「足跡」を付けたくなった。そこではまだ確立されていない、「本物の日本料理」を造り上げるためのその第一歩として。

彼は12月から上海の有名外資系ホテルで、和食料理人として働く。


※「志賀」本日のコトゲンゴンその53《一(言)・提(言)・一過(言)》
【安定は凡人、挑戦は勇者だ……遠くから存在を認めている】

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【野球選手に食べさせる勇気はなかった……『残りあと55レーズン』】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
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