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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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金曜の京都は晴れ間が見えて、暖かかった。紅葉というやつはおそらく、雨でいくらか落ちていたが、今回の目的はそれではない。京都は岡崎、平安神宮の北側で開催中「VINCENT GALLO THE ART PROJECT IN KYOTO」に行った。

その場所は「くろたにさん」と言えばこの辺りの人の通称だそうだが、正式には「浄土宗大本山金戒光明寺」と言う。その北にある吉田神社は、大学の頃ラグビー部の数人で「深夜怖いもんツアー」で来たことがある。落ち武者の霊が出ると言われていて、練習で怪我していた足を不自由に歩く僕の街灯の陰で、皆一目散に逃げてしまった。僕の、落ち武者になった思い出である。

ヴィンセントギャロという人の先入観なしで、ニュートラルな気持ちで見ようかと思ったが、写真も絵も随所に「彼」が描かれていて、もし彼の映画を観なかったなら、彼の今までの活躍・知名度がなかったのなら、やはりこれほどの人の来場はないのだろうと思った。つまりは、僕にはそのアート感というか、その「何を云わんとするか」が読めなかったのである。「アートが解ってないね」と言われたとしたら、その通りである。昔から抽象画よりも写実的なモノを好む僕としては「彼って凄いよね」と諸手を挙げて褒めちぎることは出来なかった。

ヴィンセントギャロは、なぜ京都だったのだろうか?

帰りに「イノダコーヒー」に寄った。京都にいくつかあるのだが、僕はすぐ近くの本店ではなく、三条店が好きだ。タクシーの運転手が言った。「ほとんどの皆さんが『本店へ行ってくれ』と言いますねぇ」本店とは何年か前に火事になって立て替えられた場所で、小綺麗になったし広くもなったが、モダンではなくなった。ここで言うモダニズムとは「当世風」、つまりその当時には近代的とされた外観・内観も時代と共に「味」が出る。そんな店が好きだった。今は違う。新しくなったそこには観光客がコースの如く集い、お土産を買っていく。

三条店に入る。ラウンドカウンターに手際よく供するコックコートの男性が3人。どう見ても京都人の一人客が多い。新聞を広げるタクシー運転手、営業途中の男性、いつも来ているのであろう人々がそれぞれのスタイルでくつろいでいる。ここは「京都の人が好きで集う場所」、これほど信頼できる場所はない。

神戸にも南京町以外に神戸の人が好きな中華があったり、観光客の多い北野坂の店よりもかなり小さいが、加納町の交差点にあるゆっくり買えるパン屋もある。それぞれがその街と人に支えられていて、なくならずに続いている。

しかし、ヴィンセントギャロは、なぜ京都だったのだろうか?
そして、ヴィンセントギャロは、誰に見せたかったのだろうか?

考えれば考えるほどに、ヤツの罠にハマってる気もする。


※「志賀」本日のコトゲンゴンその49《一(言)・提(言)・一過(言)》
【どうしようもない眠気に、まとまりを欠いた日記だ でもそれだけ僕を悩ませる、ギャロって人自身が、不可思議なアートに思う】

※ラブリー志賀の「干しぶどう日記・44日目」>>>キッカケはコチラ!
【「意外と好き・好きかも・オイシイ……でも私は作らない」(コトエちゃん・モー?ちゃん・シミズさん 皆30歳代女性)……『残りあと59レーズン』】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
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