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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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日曜日、午後8時45分。東京からラグビー日本代表がワールドカップの地・オーストラリアに旅立った。出発25分前の苑田右二のメール、9分前大畑大介からのメール。どちらもまだ緊張はないが気合いを感じる。なぜかその6時間前の伊藤剛臣からのメールには「今日から行ってきます!」と、ヤツらしいナンとも素っ頓狂なメールが届いていた。

戦い。表現としてはこの時勢少々危険ではあるが、ワールドカップは戦争だ。NZのウォークライ所謂「ハカ」の中でも、マオリ族の狩りに行く前の鼓舞・威嚇を表現する踊りが恒例となっている。強国のナショナルチームに選ばれる選手は英雄だし、あまり日本では知られていないがイングランドのNo.10・ウイルキンソンは、adidasのCMでベッカムと共演する英国2大スターである。国を代表する選手達に最大の賛辞と、大いなる期待を抱き吉報を待つ。やはり戦争に近い。

日本人は謙遜の文化を良しとする、悪しき風潮を持って生きてきた。「粗品・粗茶、つまらないものですが」「失礼します」「お邪魔します」などと物心ついた頃には教えられ、「ウチの愚妻が…」と聞き苦しい声を口にする。スポーツ選手にいたっては「ココまで来られただけで光栄です」と言わせてしまう。

確かに国技・大相撲に見られる自分を主張しない「モノを言わない姿勢」などは、いかにも日本的にその威厳を保ってきたかのように思う。しかしそれは絶対的に強い「横綱」の存在があったから光るものであり、昨今は外国人力士の存在、強い横綱の不在により少し崩れ始めている。あまり昔から相撲は見ないが、そんな僕でも強かった輪島や北の湖、千代の富士、貴の花(オヤジさんの方)くらいは覚えている。今は分からない。あの頃の潔い「我慢と謙遜」の相撲なら、ワールドワイドである必要もなく風格は保たれていたのであろう。

話が逸れたが、ラグビーはゴルフやテニスの発祥、英国のスポーツである。ゴルフ4大メジャー最終日最終組で回るメンバーに対し「彼も凄い、彼も素晴らしい しかし優勝するのは私だ」と言ってのける欧米人は「謙遜」よりも「プライド」を選びタイトルをかっ攫って来た。その歴史の中に日本人はいない。

テレビのインタビューで「殺るか殺られるか」と伊藤剛臣は言った。苑田右二は「頑張るとは誰にでも言える 勝たなければ誰も認めてくれない」と話した。大畑大介も「結果勝つのならナンでもあり やるしかない」と答えている。

今回この国を代表するラグビー選手に、「謙遜」はすでに消えていた。
初戦は12日夕方のスコットランド戦、やるかやられるかである。


※「志賀」本日のコトゲンゴンその2《一(言)・提(言)・一過(言)》
【領収書を書くときのこと「お宛名はどうしましょう」「上『様』で…」 もらうときのこと「お宛名はどうしましょう」「志賀でお願いします」「『志賀』で…」 使うべきと使わない言葉 ナンダかねぇ……】

加納町 志賀とはどんなヤツ?
>>>プロフィールとバイオグラフィー(一部)はこちら……

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